23歳でうつになって会社を辞めた僕が、家族で世界を移り住むようになるまで
僕は23歳でうつになって、会社を辞めました。
今は妻と娘の3人で、南フランスのあとにカナダのバンクーバーで暮らしています。
こう書くとすごく順調に来たように見えるかもしれません。でも、始まりは大阪のあいりん地区にある1泊1,200円の三畳一間でした。
この記事では会社を辞めてから、家族で世界を移り住むようになるまでのことを順番に書いてみます。
ノウハウの記事ではありません。僕の場合はこうだった、という話です。
23歳で会社に行けなくなった
大学を出て就職しましたが、23歳でうつになりました。
しばらくはほとんど寝たきりの状態でした。療養をしながら、職場に戻ることはあきらめて、会社を辞めました。
この時期は人と接すること自体が怖くなっていました。
そのうえで自分が働きやすい環境を自分で作ろうと考えて、起業することにしました。
一人でもできる仕事としてWebサイトを選んだ
そこで選んだのがWebサイトを作る仕事でした。
会社に属さず一人でもできる仕事だったからです。パソコンがあればどこにいても続けられます。
もう1つ、以前から「世界を自由に旅しながら暮らしたい」という夢がありました。
なので最初から「世界のどこでも自由に働ける力を身につけたい」と思って始めた仕事です。
2011年にWebサイトを作ってアフィリエイト広告で収益にする仕事を始めました。今もこの仕事を続けています。
あいりん地区の三畳一間から
1泊1,200円の部屋でサイトを作っていた
2011年の9月から大阪のあいりん地区で暮らしていました。
部屋は1泊1,200円の三畳一間です。ここでひたすらWebサイトを作っていました。
仕事を始めたばかりのころは収入はほぼありませんでした。
机を買うお金もなかったので、本を積み重ねて台にして、その上にノートパソコンを置いて作業していました。
稼げないうちから海外で暮らすことを考えていた
まだ全然稼げていないこの時期から、僕は「いつか海外で暮らしたい」と考えていました。
観光で旅をするというより、異国の街でアパートを借りて、そこで暮らしながら仕事をしたい。そういう働き方を思い描いていました。
同じアパートの人たちに支えられた
あいりん地区での暮らしで支えになったのは、同じアパートに住む人たちとの交流でした。
あの街で過ごした時間の中で、仕事は金額や規模だけではなく、充実感のある仕事をすることが大事なんだ、という考え方にも影響を受けました。
このころのことはSTORYS.JP に「あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。」として書いています。
正月を過ぎたころから少しずつ
収入がほぼない状態が続きましたが、年が明けて正月を過ぎたころから、Webサイトの広告収入が少しずつ伸びていきました。
そして翌年の4月にあいりん地区を離れました。暮らしたのは半年と少しです。
ちなみにこの時期のやり方を、今から始める人が短い期間で同じように再現できるとは思っていません。ここに書いているのは、あくまで僕がたどった道です。
2012年7月、日本を出た
2012年の7月にパソコン1台を持って日本を出ました。
三畳一間で思い描いていたとおり、アジアとヨーロッパの街でアパートを借りて、サイトを運営しながら暮らす生活です。2週間以上アパートを借りて暮らした街はこんなところです。
- アジア:バンコク、チェンマイ、ノンカーイ(タイ)、ヴィエンチャン、ルアンパバーン(ラオス)、ハノイ(ベトナム)、シンガポール
- ヨーロッパ:パリ(フランス)、モナコ、フィレンツェ(イタリア)、バルセロナ(スペイン)、ウィーン(オーストリア)、リスボン(ポルトガル)
23歳でうつになってから、25歳で日本を出るまで。この2年間のことは本に書きました。
最初は2014年に『うつ病で半年間寝たきりだった僕が、PC一台で世界を自由に飛び回るようになった話』(朝日新聞出版)として出た本で、『どんなに弱くても人は自由に働ける』はその文庫版です。台湾・香港では繁体字の翻訳版も出ています。
働き方は本に書いたころも今も、あまり変わっていません。
この記事で書けるのはその中のほんの一部です。あいりん地区のことも含めて、もっと詳しく知りたい方は本を読んでもらえると嬉しいです。
結婚して、娘が生まれて旅の形が変わった
2014年にFacebookで出会った妻と結婚しました。
夫婦で世界一周をして、2年間のハネムーンを経て、2017年に娘が生まれました。ここから旅の形が変わりました。
家族で最初に暮らしたのは大阪です。しばらく東京と海外を行き来して、娘が3歳のころからは東京を拠点にしました。日本を拠点にして、家族で国内外のホテルや旅先をめぐるスタイルです。
海外を転々とするノマドのような生き方に見えるかもしれませんが、僕の好みとしては日本を拠点にしてときどき海外に出るくらいがちょうどいいと思っています。
家族で南フランスへ、そしてバンクーバーへ
娘のために海外で暮らすことに挑戦した
それでも今、家族で海外に暮らしているのは、娘の教育や成長に海外での経験が役に立つと考えたからです。
2025年の春に家族で南フランスのエクサンプロヴァンスへ移りました。そして2026年の7月に、フランスからカナダのバンクーバーへ移っています。
娘はフランスでは現地の公立小学校に通い、今はカナダの公立小学校でGrade 4に通っています。
なぜこの2つの街だったのかは、「南仏とバンクーバー、二つの文化圏で暮らすことを選んだ理由」に書いています。
カナダのあとは東京に戻る予定
カナダでは1年ほど暮らして、そのあとは日本に戻る予定です。娘は東京で以前通っていた小学校に戻ります。
帰国したあとはしばらく日本で落ち着くことも考えています。
ここまでの流れを並べるとこうなります。
- 23歳うつになり、会社を辞める
- 2011年Webサイトの仕事を始める。秋からあいりん地区の三畳一間で
- 2012年7月にパソコン1台で日本を出る
- 2014年結婚。夫婦で世界一周
- 2017年娘が生まれる。大阪、東京を拠点に
- 2025年春に南フランスのエクサンプロヴァンスへ
- 2026年7月にカナダのバンクーバーへ
振り返って思うこと
働き方はあのころからあまり変わっていない
今の仕事はWordPressでサイトを作り、SEOや広告運用で人を集めて、アフィリエイト広告で収益にするというものです。
大手企業の広告も扱っていて、「ひとり広告代理店」のような働き方だと思っています。法人にはしていますが、組織を大きくするつもりはなく、基本は一人で回しています。
三畳一間で、一人でもできる仕事として選んだときから、形はあまり変わっていません。
サイトも少しずつ増えて、今はこのサイトのほかにテーマの違うサイトをいくつか運営しています。
最近はGoogle広告やMicrosoft広告の運用や、生成AIを記事づくりや仕事の自動化に使うことにも取り組んでいます。娘が生まれる前から、アジアやヨーロッパの街に滞在しながらサイトを運営してきたので、パソコンがあればどこでも続けられる、という点も変わっていません。
大事なのは稼いだ先で何を経験するか
日本を出たころ、僕が考えていた「パワートラベラー」は、どこにいても稼げる人のことでした。
今は少し違っていて、稼ぐ力の先で何を経験するかを自分で選べることに価値があると思っています。娘に世界を見せること、文化や芸術に触れること、暮らす場所を選ぶこと。
この考え方は「POWERTRAVELERとは」にまとめています。
同じ道をすすめたいわけではない
最後に1つだけ書いておきたいのは、僕と同じ道をすすめたいわけではない、ということです。
僕がWebの仕事を始めたのは2011年で、そこから続けてきた時間があって今があります。今から同じことを始めて、同じようにいくとは思っていません。
ただ、体も心も弱っていた僕でも、一人でできる仕事を少しずつ続けて、家族で暮らす場所を選べるところまで来ました。
今しんどい状況にいる人に、「こういう人もいるんだ」と思ってもらえたら嬉しいです。
南仏やバンクーバーでの暮らし、娘の学校や語学のこと、仕事のことはnoteに書いています。経歴をまとめて読みたい方は「プロフィール」もどうぞ。
旅を続けるためのお金のことは段階ごとに「旅とお金」にまとめています。
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