中途半端な夢を終わらせる〜だから僕はベース一本で日本を巡る旅に出た

楽器一本で世界を飛び回り、路上演奏で食い扶持を稼ぐ

それは、ミュージシャンを目指した学生時代の僕が考えた、最高にエキサイティングな働き方でした。

「海外の路上でお金を稼げたら、ずっと旅が続けられるじゃん!」

「日本だとストリートミュージシャンって稼げないイメージあるけど、海外だと、路上で生計立てている人が多いっていうし、俺にもできるかも!」

という、安直な発想で生まれた夢。いつしか、そんな働き方を叶えることこそが、自分の生きがいに違いないのだと、思うようになりました。

23歳で鬱病になって半年間ほど寝ていたとき、四畳半の実家の自室でぼうっと天井を眺めながら、

「自分はこれから、どう生きればいいんだろう?」

と思った時、

心残りだったことが、この、
学生時代にずっと思い描いていた、
旅をしながらミュージシャンとして稼ぐという
ライフスタイルでした。

それを、とにかくやってみようと。

震える手で練習を再開する

当時の僕は、ベースを弾いていました。

ベースというのは、バンドの低音を担当する楽器。ドラムと一緒に、バンドサウンドを支える「裏方」的な弦楽器です。

このベース一本で外に出るというのは、ベースを弾いたことがある人にとっては、

「え、それ無理じゃない?」

と、失笑を買うような、突拍子もないことだったりします。

しかしそのときの自分には、楽曲の出来如何よりも、

「外に出て、自分の理想の生活をしてみよう」

という気持ちが勝ったため、

Youtubeで、ベース一本でライブや路上に立っている人の動画をかき集め、「どうやって弾いているのか?」ということを見よう見真似で覚えていくことにしました。

参考までに、当時の僕が、数百回は見たであろう動画がコチラ▼
Victor Wooten – Isn’t She Lovely?

簡単にいうと、

「自分が弾いた音を録音できる機材(エフェクター)を利用して、音をどんどん重ねていくことで、音楽の形にする」

というものです。

「これを覚えれば路上に立てる!」

ということで、とにかくこの1曲だけを集中して練習。

1ヶ月くらい必死に練習をして、なんとかそれっぽく仕上げることができた僕は、その1曲を武器に、日本を縦断してみることにしました。

ワゴン車で車中泊しながら日本を縦断することに

家にはちょうど、半年後に車検が切れて廃車にする予定のトヨタのワゴン車「NOAH」がありました。

僕は親父に頼み込んで、数ヶ月間、そのワゴン車を借りられるように交渉。

ワゴン車の中で社注釈で寝泊まりをしながら、ベース一本で日本を北から南に下っていく企画を思いついたのです。

題して、

「ベース一本で日本縦断プロジェクト!」

というもの。そのまんまですね(笑)

その当時はまだ、身体が重く、外に出ることや、誰かと話すことに対し極度の緊張があったのですが、

それ以上に、「今の自分の状況をなんとかしたい」という気持ちが勝ったため、

寝袋や路上演奏用のスピーカー、食材を詰めるクーラーボックスを用意して、千葉の実家を離れ、青森まで北上を開始しました。

旅は青森からはじめて、だんだんと南下をしていくルートを選択。

青森駅や新潟駅など、主要な都市の駅前を選んで、演奏をすることを決めました。

荷台に詰め込んだ荷物。

自炊はガスコンロで。クッカーで白米を焚いたり、パスタを茹でて空腹を満たしていました。

宿泊は道の駅やキャンプ上で。道の駅ではたくさんのキャンパーが泊まっており、寝床には困らなかったです。

肝心の路上での演奏ですが、、、奇跡的にそのときの映像が一本だけ残っていたので公開します▼

いやー恥ずかしい!

これは仙台駅での演奏風景。こんな感じでベース一本で演奏していました(笑)

お金をいただける演奏ではないと思います。

とにかく必死で、自分が思い描いた理想の仕事を実践してみようと、それだけを思い旅を続けていました。

実際に「理想の生活」をやってみて気がついたこと

青森からはじまった旅は、非常にスローペースで進み、

東北→関東→東海→関西のすべての県をぐるぐると巡り、和歌山に辿り着く頃には出発から4ヶ月も経っていました。

しかし、

4ヶ月が経って和歌山に辿り着くときには、

もう僕は、ベースを弾くことを辞めていました。

ひとつの理由には、お金が稼げなかったことがあります。

僕のスキルで、この手段に固執をしている限り、自分が理想とする、世界各地を飛び回るような生活は、いつまで経っても叶わないことを痛感しました。

お金をいただくということは、なんらかの「価値」を誰かに与えるという意味です。

「これは素晴らしいパフォーマンスだな!」と感動したとき。

「すごく一生懸命がんばってるな!」と勇気をもらい応援したくなったとき。

なんでもいいのですが、

パフォーマンスに価値を感じ、その価値に対してなんらかの形で返報したいと思われた時に、はじめて、パフォーマンスはお金に転換されるのだと思います。

僕は、誰かに「価値」を与えられるだけのパフォーマンスができるほどの力はありませんでした。

それになにより、、、

路上で演奏をしながら旅をするという生活は、学生時代の自分が思い描いていたほどには、

「全然、楽しくない・・・!」

「むしろ辛いだけ・・・!!」

ということが、わかってしまったのです。

僕はもともと人前に立つのが苦手で、学生時代も、誰かの影に隠れてひっそりと生きてきたような人間でした。

ベースという楽器を選んだのも裏方的な役割が性に合っていたからですし、

誰かの視線に晒されたり、誰かとコミュニケーションを取ることに障害を感じ、鬱病になって組織を辞めたのが、僕という人間でした。

そのため、路上で演奏をするという行為は、僕にとって楽しいものでもなんでもなく、今すぐにでも楽器を放り投げて逃げ出したくなるくらいの、辛い行為でしかなかったのです。

それに気がついたとき、

これまで、執着をしていた「音楽」という手段が、すうーっと、自分の手を離れていったのでした。

自分が望む生活は本当に理想の生活なのか

パフォーマンスという手段で「旅暮らしを叶えたい」という方は、僕以外にも、きっとたくさんいらっしゃると思います。

・演劇
・手品
・音楽
・イラスト
・占い

その手段はなんでもいいのですが、

もし、そうした生活を叶えたいと思うのであれば、一度、小さな範囲で取り組んでみて、

自分の思い描くその理想の生活が「本当に理想なのかどうか?」を見極めてもいいのではないかと思います。

僕は、

「ベース一本で世界を巡る」

という自分が思い描いた夢に挑戦する前に、

「ベース一本で国内を巡ってみる」

という、ひとつ小さな範囲で、自分の理想の生活を叶えてみることにしました。

その結果、自分はこの手段で自由を叶えるのは向いていないということに、早い段階気がつくことができました。

もし僕がそれに気が付かないまま、自分の理想の仕事を叶えるためにいきなり、海外に飛び出していたとしたら、理想と現実とのギャップに戸惑い異国の街で途方に暮れていたのではないかと思います。

小さな範囲でまず試してみることで、自分が進む方向性を軌道修正することができたのです。

夢の終わりは唐突に

2011年2月のある日。

和歌山の田辺市から高野山へと向かう「龍神スカイライン」にて、僕は雪にタイヤを滑らせ、道路脇の柵に激突します。

ボンネットはV字に凹み、ワゴン車はにぶい音と煙をあげて、そのまま動かなくなりました。

それが僕の、旅の終わりです。
ミュージシャンの夢が終わった、瞬間でもありました。

廃車になった車を脇に、薄くすきとおった青空を見上げながら、でも不思議と、気持ちは晴れ晴れとしていたことを覚えています。

「この手段では、自分の夢は叶わないことがわかった」

「じゃあ、他の手段で、世界を自由に旅する生活を叶えよう!」

と、そのためにできる仕事をまたゼロから探すことを決めることができました。

中途半端な夢にけじめをつけたからこそ次のステップに進める

パフォーマンスという手段が悪いというわけではなく、

「自分の力量はどのレベルなのか?」

を見極めること、そして、

「自分は本当に、パフォーマンスで生活をすることが幸せなのか?」

を、事前に実体験として確認しておくという2つは必ずやっておいたほうが良いというのが、

僕が、車中泊をして日本を巡り、パフォーマーとして生きた4ヶ月間で学んだことでした。



ということで、

「世界を自由に飛び回る力をつける」

そのための手段としてパフォーマンスを選んだ僕の挑戦は、【失敗】しました。

けれど失敗は、次の新しい挑戦に続きます。

明日は、僕が次に選んだ手段である

「住み込みバイト」

についてお話します。

僕の経験が、あなたの未来の働き方を考える
少しでも参考になりましたら嬉しいです。

阪口ユウキ

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