(写真は、バイオリンを背負ってお教室に向かう娘)
数ヶ月前のことですが、娘が通っていたバイオリン教室を辞めることにしました。
バイオリンを習っていたのは、4ヶ月ほど。リズムを覚え、弓の持ち方を覚え、バイオリンの構え方を覚え、ようやく最初の曲を弾き初めた頃です。
僕としては「はじめたばかりで勿体ない」「練習にかなりの時間と気持ちを使ったのに勿体ない」「楽器は練習が辛くとも続けるものだ」と思う気持ちもありながら、当時と今を比べるとやはり辞めて正解だったのだろうと思います。
バイオリンを辞めて良かったと思う理由
辞めてよかったと思う理由はいくつかあります。
その大きな理由は、僕が娘を怒ることがなくなった、ということです。
前提として、バイオリンは、娘が自主的に選んだものではありません。音楽の習い事をさせたいという、僕の希望で選んだものでした。(娘は最初から乗り気ではなかったのですが、あの手この手で憧れるようにしました)
僕自身が幼少期から音楽(ピアノ)をやっていたこともあり、娘にもなにか音楽をやってもらいたいな、と思ったのが理由です。
僕がやっていたピアノではなくバイオリンを選んだのは、ピアノに比べて、自分の力加減や弾き方で音色が劇的に変わるバイオリンの方が、音感を育てるのにプラスになるのではと思ったからです。
選んだのはガチめなお教室
バイオリン教室も、先生や生徒さんの奏でる音を聞いて「ココだ!」と思うところを選んだ結果、自由に弾くバイオリン教室ではなく、ガチ目なお教室になりました。
・レッスンには親も同伴
・レッスンがない日も毎日練習
・小さな子でも持ち方はミリ単位で修正
といった具合です。
僕は先生に言われたことを真面目に取り組みたい性格であり、先生から言われた課題をそのまま娘に課していました。
音楽は毎日やるもの。やるからには早く上手くなって欲しいと。しかし、なかなか娘は僕の思うようには取り組んではくれません。
・バイオリンを持ってくれない
・自ら進んで練習してくれない
・やる気がない
・まっすぐに立ってくれない
・練習に集中してくれない
・教えた通りにやってくれない
こうやって書くと酷いとわかるのですが、バイオリンを続けていくのであれば最初が重要だと考えていたので、どうしてキチンとやってくれないのか、と苛立ちを募らせてしまい、よく叱ってしまっていました。
真面目に練習をすればするほど、嫌われていくパパ
4歳の娘に、どうしてやってくれないのか、なんで続けられないのか。怒ったところでなにかが変わるわけではなく、むしろ悪化する一方だということはわかっているのに、感情的に怒ってしまう。
パパなんて大嫌い!と大泣きされたり、次第には僕の怒った顔を真似るようになったり。娘自身も怒りっぽくなり、親子関係は最悪でした。
僕は自由に働ける仕事のため、生まれてから妻と同じくらい娘と一緒に過ごしていますが、パパが大好きな時期は来たことがありません。
パパが大好きとはならなくても、パパが大嫌いというのは辛いですし、そんな事を言う娘に苛立ちました。
なんのために音楽を選んだのか
ある日、ふっと、なぜ僕は娘に音楽をさせたかったのかを思いました。
プロにさせたいわけでもなく、別に上手くならなくてもいい。
ただ、音楽ができることで人生が豊かになってほしい、と思ったのでした。
人生を豊かにする。それが目的であるとするのであれば、
バイオリンが弾けるようになった未来と、父親に毎日怒られ続けた幼少期を過ごした未来と、どちらが豊かな人生に繋がるのだろうか。
そう考えたときに、
なんで出来ないの!
やりなさい!
と怒られることなく、のびのびと、仲良く、毎日を過ごした先にある未来のほうが豊かになるのではないかと思ったのでした。
僕自身、母親に叱られながらピアノの練習に取り組んでいた頃のことを、今でもよく覚えています。
音楽ができること、と親子関係
ピアノの前に立つのが怖く、練習中も逃げ出していました。泣きながら音当てをし続けたり、やりたくもないバイエルに取り組まされたり、その苦痛はありありと思い出せます。
その痛みと引き換えに僕は絶対音感をみにつけ、音楽ができるという武器を手に入れ、その恩恵も受けてきましたが、果たしてそれは、幼少期の親との関係性を犠牲にしてでも手に入れる価値のあるものだったのか。
楽器の練習と親子関係を両立できれば良かったのですが、僕には難しく精神的にも限界だったため
子どもと、家族と、仲良く、暮らす。
を叶えられる方を選びました。
いつも一緒に仲良くパパとママと暮らした、という記憶を保ったまま育つ。それは娘の人生に光をもたらしてくれるのではないかと思ったのです。
色んな世界をみせる、選んだものができる環境をつくる
なにかを習わせる、なにかを学ばせる。
子どもになにかを「させる」ことを強いるのではなく、
「子どもに色んな世界を見せる」
ということに責任を持つ、ということに切り替えました。
強いるのは、子どもに対してではなく、自分に対して。
子どもは、自分の世界の中にないものは、想像することも選ぶこともできません。
その選択肢の幅を広げ「自分は何が好きなのか」を把握し、やりたいと思えばそれを思いっきり続けられる環境をつくってあげることが、父親として僕ががやるべき第一のことなのではないか、と考えるようになりました。
コンサートに行ったり、ミュージカルを観たり、リス園に行ったり、乗馬をしたり、スキーやスケートをしたり。
そうして色んな世界を一緒に体験した上で、娘が自主的に、やりたいと選択したものを応援する、ということを今は意識してやっています。
バイオリンを辞めて3ヶ月が経ち、思うこと
バイオリンを辞めて3ヶ月が経ちました。
娘は、僕が怒る事や決められた練習が嫌だったそうですが、バイオリンはまだ好きみたいで、たまに自主的に弾いています。音楽も好きだそうです。
怒りっぽかった所も落ち着き、何より、この3ヶ月の間に「パパ大好き」「ママよりパパが良い」とパパ好き期がついに、ついに訪れました。
僕が出かけようとすると「寂しいから行かないで、早く帰ってきてね」と泣くように。泣くのは可愛そうですが、はじめての事ですし、もうパパは嬉しくて出かけられません。
幼少期からずっとバイオリンを続けたという未来はもう見れませんが、選んだ選択肢を正解にしたいですし、僕は僕自身で母親が与えてくれた音楽という世界を楽しんでいきたいと思っています。
阪口ユウキ