8月25日の独立宣言

1年前、2011年の夏。

僕は福岡の旅館で住み込みで働きに行くため、
新宿で博多行きの夜行バスを待っていた。

蒸し暑く、旅行者で混み合う深夜のバスターミナルで、
自分の足元を見つめながら、こんなことをノートに書き残した。

今から自分は、旅を仕事にして生きていく。

地域を越え、国境を越え、辿りついたその街で仕事をする。そんな生き方を、これからの5年間続けていく。

自分は日本国民だとか、自分は旅行者だとか、そうゆうことはきれいさっぱり忘れてしまえ。

どこにいようと、何をしていようと、自分の足が触れている場所が、自分の国であり、自分の居場所だ。

そうゆう生き方をしている限り、自分は絶対に大丈夫だと信じる。きっとすべては上手くいく。

食い扶持は必ず見つかる。生業は立つ。

旅をしている限り、俺は無敵だ

以前、少年マガジンに連載されていた『OVERDRIVE』という自転車漫画があって、

そこに登場する中国人レーサーが、
「私に国はありません。サドルの上だけが、私の国だ」
という風に語っていた言葉が格好よく、それに触発されて考えた言葉だ。

自分がどこにいようと、何を考えていようと、
どんなプランを立てていようと、
今いる場所でできる最大限のことをやることしか、自分にはできないのだと思う。

あの日、夜行バスを待っている僕は、生計を立てる力を何一つ持っていなかった。

旅館で溜めた資金を手に、次は大阪に潜伏するプランは立てていたものの、
そうしたからといって上手く行く保証はどこにもなかった。

あまりにも不確定で、あまりにも無鉄砲で、未来のことを考えると戦慄した。

その戦慄を胸に押しとどめながら、
じっと足元を見据えて上のようなことを考えた。
嵐のようにざわめく心の奥深くには、不思議と、上手くやれるような確信があった。

 

あれから1年、今僕は、ベトナム・ハノイの街を歩いている。

新しい街を歩いていると、いつもその時のことを思い出す。
あの絶望的で、情熱的な数分間の沈黙を。

路面を蹴る足指に力が入る。
自然と身体が前傾姿勢になる。
尻から背骨にかけてグッと力が入る。

何ひとつ見覚えのない街並みと、読めない看板と、理解できない言葉と、
車のクラクションと、擦れ違う人種と、
その風景をぐるりと見渡して、「ここが自分の居場所だ」と思いこむ。

そうすると、きっとこの街でも俺はうまくやるんだろうなと自信が湧いてくる。

ベトナムは自由で独立した国である権利を持っている。そして実際既にそうなのである。全てのベトナムの人々は全ての彼らの肉体的および精神的な強さを動員する決心を、そして彼らの独立と自由を保護する為に彼らの命と資産を犠牲にする覚悟を固めている。

ベトナムは1945年、上記の文章で締めくくられる独立宣言を世界に向けて叫んだ。

そしてその言葉通り、対フランスへのインドシナ戦争、
対アメリカへのベトナム戦争を繰り広げ、独立を勝ち取った。

あの日、24歳の自分が刻んだ言葉は、
自分にとっての「独立宣言」だったのかもしれない。

あいりんでの生活は戦争そのものだった。

そして場所は違えど、今もまた、自由であり続けるため闘い続けている。
足裏が触れている、このハノイという街で。

僕は、ここでできる最高限のことをやる。

パワートラベラーの働き方について

僕ら夫婦は旅暮らしをしていますが、ただ旅をしていても、お金の心配は消えない。本当に楽しく自由になるには経済的自立が必要。という理念のもと、旅をしながらでも資金を稼ぐことができるライフスタイルを構築しています。

基本はPC一台で完結する仕事を選んでいます。PCで完結する仕事はいろいろありますが、最初に取り組み、現在も大切にしている仕事は、

ウェブサイトを作る

というものです。企業から仕事を受注するのではなく、自分でサイトの企画を立て運営をしながら、サイトからの広告収入(アフィリエイト)で生計を立てています。

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