モナコでの演奏旅行から帰国しました!はじめての子連れ海外&演奏旅行で学んだ3つのこと

こんにちは、パワートラベラーの阪口です。

モナコ公国から帰ってきました!

モナコ・エルミタージュホテルでの演奏も成功し帰国しました。

長文にはなりますが、今回の旅の記録をまとめてみましたので、こちらでご報告させていただきます!

目次

モナコの5つ星ホテル・エルミタージュホテルでの演奏

今回、「アミチエ ソン フロンティエール」という、モナコ公国に本部があるチャリティ団体のオーケストラに参加させていただきました。

アミチエ ソン フロンティエール インターナショナル(ASFI)は1991年に設立された人道支援の団体で、モナコ公国に本部をおき、国家元首であるアルベール大公が名誉顧問総裁を務めています。

ASFIは、基本理念「道徳・寛容・友情」の元、チャリティーガラパーティー、スポーツイベントや文化事業をはじめとしたファンドレイジングイベントを開催し、ハイソサエティな社交を通した人道支援活動を行っており、そのファンドレイジングイベントによる収益は、ASFI本部ならびにUNHCRを通しアフリカの子供達への支援、難民キャンプに放置されたのシリアの子供たちの救済など、時事最適な人道支援に役立てています。
[http://amitiejapon.org/]

モナコ公国の国家元首(モナコの統治者)が顧問という、モナコで最も権威あるチャリティー団体のひとつになるのですが、このアミチエの日本支部がオーケストラを結成しており、ご縁があって、今回そちらに参加させていただきました。

普段オーケストラでベースを担当している方がモナコ公演に参加できなかったらしく、急遽、ベース経験者の僕がその枠に飛び込んだ形です。

モナコ行きが決まってから本番までは、3週間!

まさかのスピードで演奏旅行、そして海外公演が決定です。

舞台は、モナコ有数の5つ星ホテルである「オテル・エルミタージュ([http://jp.hotelhermitagemontecarlo.com/])」。

こちらのホテルの美しさは、写真を見ていただいた方が早いでしょう!▼

圧倒的な美しさ!!

こんな舞台で演奏できる日が来るとは思ってもみませんでした。

ちなみに僕は、1枚目の写真の最後列の一番左にいます。一番後ろで目立たないのはベーシストの定位置ですね(笑)

本番はもちろん最高の時間だったのですが、

  • モナコの隣、フランスはニースの音楽スタジオを貸りてリハーサル
  • メンバーと同じヴィラに宿泊しながらの食事や会話
  • 地中海を一望できるレストランでの食事

など、本当に記憶に残る体験が満載でした。
今回の経験を通じて、3つのことを学んだのでシェアさせてください。

1.不可能と思ったこともなんとかなる

「娘連れで演奏旅行なんてできるの!?」

「しかも行き先がモナコ!?」

「パーティの間、娘ってどうするの!?」

と、なにからなにまで未知の世界で、参加表明をするまでモナコ行きを迷っていました。

たとえば荷物。

赤ちゃん連れの旅行は、国内旅行でも荷物が多いのですが、

– パーティー用のタキシード一式
– モナコ用のスーツスタイル(現地はお洒落必須!)
– 楽器(ベース)

と、もともと身軽に旅していた僕としては、過去に例がない量。

妻も、現地のパーティに一緒に参加したり、僕らが演奏をバックにダンスを披露するチームに入っていたので、現地での衣装やドレス一式も持たなくてはいけません。

これに赤ちゃんの荷物と、赤ちゃんを抱えて・・・となると、どうなるかはもはや想像がつきませんでした。

結局、

– RIMOWA 105L(最大サイズ)✕2
– RIMOWA 33L ✕1
– ボストンバック✕1

というラインナップに、荷物を詰め込みました。


(※これまでは白いスーツケースひとつで数ヶ月旅していました。隣の大きいスーツケースはネットでレンタルしました。)

過去にない規模の荷物にひるんだのですが・・・

いざ空港に行くと、これ以上の量の荷物をカートに積み上げて歩いている人、けっこういたりして。ベースよりはるかに大きいサーフボードを抱えている人もちらほらいて。

意外と、これくらいの荷物の量も、楽器も、子連れも、世界基準でいえばスタンダードなのかなーと思ったりしました。

現地滞在中、娘ってどうするの? パーティーやリハの時は?

ということも不安だったのですが、

オーケストラやダンスチームのメンバーはパパママが多く、入れ替わりで遊んでくれたり、演奏が入っていないメンバーが見ててくれたり。

色んな人の支えもあって、なんとか乗り越えることができました!

飛行機も、今回トランジット含めて23時間かかったのですが、一度飛行機に乗ってしまえば、赤ちゃんがいようがいまいが、時間が過ぎれば勝手に到着します(笑)

一見不可能に思えることって、僕に事前知識や情報、自分ひとりでなんでもやろうとするからそう思うだけなのかもしれません。

行ったらなんとかなる、やったらなんとかなる、でも、よくわからないから不可能と思うことって、今回に限らずたくさんあるはずで。食わず嫌いをせず、人生というテーブルの上に出された料理(経験やイベント)は、すべて美味しく平らげよう!と、今回の旅行で強く感じました。

2.何かを成し遂げる旅行は楽しい!

これまで、

  • 自由気ままな旅
  • 何かテーマのある旅
  • 現地で予定のある旅

は、ひとりでも夫婦単位でもやってきたのですが、

自分に負荷をかけて、何かを成し遂げる旅行

というのは、すごく久しぶりでした。

パワートラベラーをはじめて一番最初、「本当に海外で仕事をしながら暮らせるのだろうか?」と右も左もわからないままタイに出国したときや、

結婚式を終えて、荷物をまとめてノープランで夫婦で飛び出した、新婚旅行のとき以来の感覚のような気がします。

  • 社交の場であるモナコのパーティに出席すること
  • タキシードを着て演奏すること
  • 250名に及ぶ観客を満足させること
  • いつもの白シャツではないコーディネートで過ごすこと
  • それらを赤ちゃん連れで完遂すること

箇条書きにするとさらっとしていますが、実際にそれらの世界観は背中にのしかかってくるものがあって。今回のモナコ滞在を通じて得られる経験値や充実感の密度は、次元が違っていました。

日本に帰国したときの、「やったぞ!!」感は、クセになるようなものがありました。

3.昔なりたかった「音楽家」の自分になれた

最後、これシェアさせてください。

僕は24歳まで本気でベーシストを目指していました。

自分でバンドを組んだり、ジャズバーにセッションしに行ったり、ワゴン車に寝袋と食料を積んでベース一本日本縦断の旅をしたり。

その当時、自分が思い描いていた「最高の音楽家の姿」というのは、

世界を、音楽という手段で飛び回っている自分

という姿でした。

プロとして演奏して生計を立てている状態より、世界を巡る手段として音楽を武器にできている状態に憧れた。当時の僕は、他に自慢できるものがなにもなく、音楽にすがって生計を立てようと躍起になっていました。

なんとか、音楽で食べていきたい。

世界を自由に飛び回るという夢を、音楽で叶えたい。

でも、それをどうすれば達成できるのか、わからない・・・。

結局、当時の自分は叶える力がなく、音楽を諦めて起業する道を選びました。

音楽ではなくパソコンという手段で世界を巡るようになった6年後、ふっと、音楽でもやってみようかなと思ったときに、今回のモナコ公演の話になりました。

練習に参加するために、楽器を背負って大阪ー東京間を月に何度も往復したり、

モナコで250人もの観客の前で演奏したり、

機上で楽譜を書いたり確認している状態が日常となって、

ふっと、「これ、俺が目指していた音楽家のあり方なんじゃないか?」と気が付きました。

この文章を書いている今は、シンガポールに向かう飛行機の中なのですが、その機内の中で、次の公演に向けて楽譜の確認や作成をしていました。

原曲を聞きながら他のパートの流れを確認したり、足りないパートの譜面をソフトに打ち込んだり。ブログを書いたり、ビジネスのことを考えるのと同じ感覚で、音楽が、世界を飛び回る日常のなかに入ってきています

今の僕には、当時自分が音楽に感じていた挫折感や閉塞感が、これっぽっちもありません。もはや挫折する必要、ないですし。音楽をやることで世界は広がるばかりです。

音楽とか芸術活動って、他の可能性を切り捨てて、鋭利に尖って一点突破していく他に道はないと思いこんでいました。そうしなければ、良い表現、良い音楽はできないのだと。

でもそれは違ったのかもしれません。なぜなら、6年ものブランクがあるにも関わらず、今の僕の方が良い音を出しているように思うからです。人生経験や思考の変化が、音に乗っている。人生をより豊かに、充実するためのひとつの手段として音楽と向き合う今の状態が、すごく新鮮だったりします。

15歳からプロを目指して8年やって諦めて、6年空いてから、そこから1ヶ月で、自分が憧れる「音楽家」の姿に辿り着くことができました。

これからは、「パワートラベラー」という肩書の中に、「音楽家」を加えて、生きていこうと思っています。

 

*****

 

ということで、今回の旅行で感じたことを書かせていただきました。

今回のモナコ公演は大冒険でしたが、すでに次の冒険がはじまっています!

来月2月は東京のグランドハイアットにて、5月は沖縄のガンガラーの谷での公演が決まっています。

他にも、ブルーノートやカーネギーホールの公演を実現しよう!と動き出しています。きっと、夢物語のようなこれらの舞台も、そう遠くない未来に立つことができるはず。そうした未来の実現に向けて、仕事も音楽も、日々積み重ねていこうと思っています。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

阪口ユウキ

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