高卒で働く二十歳の地に足ついた逞しさ

旅館から最寄りの駅までは、1時間に1本バスがでている。

この日、8時40分の送迎バスに乗って博多に出ていこうとすると、同じホールで働く先輩の岩本さんがいた。

目が合うと、「こんにちは」と丸っこく返事をしてくれる。

岩本さんはアジアの少数民族にいそうな、雰囲気のやわらかい顔立ちをしていて、個人的に親しみの沸く先輩だった。職場の制服を着ているときの印象とは違い、私服の岩本さんは、年頃のふつうの女の子に見えた。

「こんにちは。今日はお休みなんですね」

「そう、久しぶりに」と岩本さんは嬉しそうに笑った。「お休みの日くらい、外に出ないと」

「お仕事は慣れました?」

「ええ……だいぶ覚えてきました」

「夏場は忙しいですからねえ。特にお盆の時期はもっと」

「ひどいですか?」

「ひどいですよ。戦争ですね、戦争」

お盆の時期の酷さは、従業員の全員が口をそろえて同じことを言っていた。

「今でさえバタバタしてますもんね……ベテランの社員さんっていないですし」

「みんな、若いから」

「岩本さんも、僕より年下ですよね?」

「私はいま21」

「いま何年目です?」

「高校卒業してからだから……もう3年目ですね。早いですねえ」

そう言って、複雑そうな笑顔を見せた。

目次

寮の部屋で珈琲の豆を挽く

「博多では何を?」と聞かれたので、カフェに行く予定だと答えると、いろいろとおすすめのカフェを教えてくれた。

「随分詳しいですね」

「私、将来喫茶店やりたいんですよ」

「そうなんですか?」

「はい、ここで働いているうちに喫茶店の仕事に興味を持って。本格的においしい珈琲の淹れ方を学びたいんですよね」

「いいじゃないですか。素敵ですね。

「今も独学で、部屋でコーヒー豆を挽いたりしているんですけど。手で挽くと、日によって味が変わっちゃうんですよね。おんなじ豆を使ってる筈なのに日替わりみたいになって」

「手で挽いてるんですか?豆を?」

と僕は驚きの声をあげる。

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「そうなんですよ、手で。こうやってガリガリガリガリ」と岩下さんはレバーを回すような仕草をしながら、「別に機械でやっちゃえば問題ないんですけどね、わたしはアナログなんで」

「そんなことを部屋でやってるんですか」

「そうですよ」

「あの、寮の2階で」

「そうそう」

「寮のなかで自分で豆挽いて珈琲を淹れているひとはまず岩下さんだけでしょうね」と僕はすっかり感嘆の声を上げてしまった。

たとえば女の子の部屋に遊びにいって、そこで淹れてくれる珈琲が、市販のインスタントでお手軽に済ませるのではなく、カリコリと台所で挽いている豆で作られたら、それだけで恋に落ちてしまいそうだった。

もうすぐここも辞めるんです

「でも、もうすぐここも辞めるんです」

「え、そうなんですか?」

「はい」と岩本さんはピースサイトを見せて、笑った。

「転職ですか?」

「ううん、結婚」

「おお、おめでとうございます!」

「ありがとうございます……ふふっ」

話を聞くと、高校生の頃から付き合っている彼氏とはもう5年目になるそうで、近日、両親の元へ結婚の挨拶に伺うということだった。それを聞くと、なんだか複雑な気分になる。

「みんなしっかりしてますよね。僕は大学に行ってたから、みんなが働いている年には、ずーっとのんびり生きてたんですよ。サークルやったりバイトやったり」

「ああー……わかりますよ。私の周りの友達も、大学に行った友達いますけど……たまに会ってもなんか話題が合わないんですよね。へらへらしてて」

「そんな感じです。18で仕事をすることも、21歳で結婚することも、考えたことありませんでしたよ」

社会で働いているは二十歳の女の子の力強さ

僕の中の二十歳前後の女の子といえば、なにか、華やかな春風に始終包まれているような印象があった。

仕事を心配する必要もまだなく、お洒落に気を遣って、アルバイトでお小遣いを溜めて、大学の講義を程度に受けて単位を取り、サークル活動に励んで友達や恋人をつくる――そんな生活が当たり前と思っていた。

僕は、全校生徒の九割が進学するような高校の、その中の進学クラスに在籍していた。

周りも、そして僕自信も就職するという選択肢を考えたこともなかったように思う。東京で通っていた大学は、池袋という繁華街のド真ん中にあり、遊ばなくちゃ損というふわっとした空気が流れていた。

今、僕の周囲にいる二十歳前後の子は、そういったルートとは無縁の、地に足をつけた逞しい生き方に身を投じている。

生きるために働き、パートナーを見つけてこれからも生き抜こうとしている。その姿は、風が吹けばすぐ飛ばされそうな自分にはない、社会で働いている人間の力強さを感じた。

岩本さんの彼氏は、今は茨城で働いているらしく、結婚したらそちらに引っ越すと言っていた。

「福岡、離れるの寂しくありません?」

「そうですね、でも」岩本さんはふっと窓の向こうの海を見て、

「ずっと長く島にいたから。もういい加減、他の世界も見てみたいもの」

この島は美しい。白浜と、瑠璃色の海と、紺碧の空。でもその美しさに触れるほど、まだ見ぬ世界はもっと美しいものに満ちているのではないかという予感を感じさせた。

僕もまた外に出て、広い世界を見たかった。

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YUKI

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