お恥ずかしい話なのだけどこの半年間、
ろくに人と会話する機会を持たず、ひたすら自分との闘い、PCとの闘いを続けていたために、
口の筋肉が退化して、全く喋れなくなっているのである。
昨日、塾の東京交流会に参加すると決めた後で、ひさしぶりになにか喋ってみたら、自分だけ水中に潜っているような気分になり、とても情けなくなった。
もう本当に、この半年間で失ったものと、得たものと、どちらが多いのかわからない。
まあ、このあたりはカラオケにでも行って、ブルーハーツを3日3晩歌い続ければ、喉も開いて解決するのだけど、
あまりにもこの半年間、人と断絶された、まるで精神と時の部屋に籠っていたような、自分自身のストイックな生活ぶりには困惑せざるを得ない。
だけど、正直な話、稼げるまでは誰にも会いたくなかったというのが本音で、友達にも家族にも、こんなスラム街で生活している自分の姿など、見てもらいたくなかったのだ。
いくら「稼ぐ」という気高い目標と情熱があろうと、稼げていないうちは「無職」でしかない。
そんな自分の姿は、やはり、誰にも見せたくなかった。見せられるもんじゃなかった。
大学時代、デザインを生業とするベンチャー企業で、営業をしていたことがある。
そこで毎日泣かされながら、ビジネスについて、テレアポについて、コミュニケーションについて、そして夢をかなえるための心構えについて教わった。
社長は夢をかなえるプロセスを「穴を掘り続けること」と例えた。
「お前が穴を掘っていると、穴の中にいろいろな声が放り込まれてくる。
”そんなところ掘ったって、なんにも出てこないよ。”
”そんな不毛なことしてないで、飲みに行こうぜ。”
”可愛い女の子紹介するからよ。早くこっちに出てこいよ。”
お前が穴を掘り始めたら、周りはそれを制止しようとしてくる。
その声に耳をふさいで、延々と穴を掘り続けられるかが、お前の戦いだ」
身寄りのない大阪の街を選んだことで、結果的に、誰の制止の声も耳に届くことはなかったのだけど、
「辛い、厳しい、稼げない、今日も0円だ、貯金が減る、とても生きていけない」
という、四六時中胃壁にからみついてくる自分自身の言葉から、いかに耳をふさぎ、薙ぎ払い、決意を押し通せるかという戦いの毎日だった気がする。
(今でもそうだけど)
ただ今は、何か吹き込まれる程度では自分は揺らがないと思うし、籠って仕事を続けてきた半年間があるからこそ、あらためて、
いろいろな人の話に耳を傾けてみたい。
誰かと協力し合い、一緒に成功する。
そうしなければ、常に成功し続けることは難しいと思うから。
ということで東京交流会参加予定のみなさま、よろしくお願いします。
阪口ユウキ
P.S.
ちなみになぜ東京交流会なのかというと、
たまたま月末に千葉の実家に帰る予定があったからで、交流会が終わったら、夜行バスに乗ってまた大阪に戻る予定です。
新宿でお酒飲むとか、ホント久しぶりだなあ。