1年半、座禅を組み続けた学んだ「逃げない」精神性

(写真は、本記事の趣旨とは関係ない、ハワイの海を前に座っているだけの写真です)

先日、リッツカールトン日光に宿泊している時に、座禅のアクティビティに参加をしてきました。

こちらは宿泊ゲストは無料で誰でも参加ができるもので、日光山中禅寺立木観音の僧侶が来て、座禅のやりかたを指南してくださいます。

座禅を組むのは何年ぶりでしょう。

座禅は、鬱病になって仕事を辞め、車で日本縦断をしていた2010年末から、大阪あいりん地区で起業をして世界に出るまで、1年半ほど毎日組んでいました

車はワゴン車だったので、毎朝5時頃起きて、後ろの荷台で。あいりん地区で暮らしていた時も、朝4時、5時頃に起きて、1時間ほど座禅をする日々を続けていました。

座禅を組んでいてその当時のことを思い出したので、僕がなぜ座禅をするようになったのか、また組んでみてどうなったのかということをお話します。

目次

何も考えない、を、意識的にする時間を持ちたかった

座禅は、何も考えない、無の時間をつくる修行です。

鬱のときには、頭の中に様々な考えや想いが錯乱的に広がります。思考がうるさく、頭の中を反響して、立っていられないほどに。

個人的には、東南アジアの、特にベトナムハノイあたりの、クラクションが四方八方から鳴り響く大通りのど真ん中にいつまでも立ち尽くしているような、そんな気分。

このままだと頭の中の思念に押しつぶされてしまうと思い、はじめたのが座禅でした

何かを見てはじめた、というわけではないのですが、車で旅をするようになり、自然と早起きになり、朝の動き出す前の時間が増えたときにふっと「座禅をしてみようかな」と思ったのが契機だったと思います。

思念から逃げ出したくなる身体をぐっと押し留め、身体を床に縛り、ただただ呼吸をしながら座り続ける。

最初は数分やるのも辛く、終わる頃には息切れするほどでしたが、他にやることもなかったのでひたすらやり続けたところ、だんだん長い時間座っていられるようになりました。

放っておいたら死にたくなったり、発狂して飛び出したくなるような精神状態の中で、

「今、ここ」

に集中する座禅は、自分の頭と心を正常化させるリハビリになっていたのかもしれません。

その後、起業を志し、大阪のあいりん地区で暮らし始めたときには正常な思考力を取り戻すことができました。

アフィリエイトにはメンタル面で劇的な効果があった

起業当初、アフィリエイトを続ける上で「座禅を組む」ことで得られるメンタルは、僕には劇的な効果がありました。

座禅を組む時間を持つ、ということは、自由に動きたがる心と、思念と、身体とをその場に固定させるということです。

それは僕にとって、「逃げない」ということを、身体にも心にも浸透させる時間でした

これはどの副業やビジネスにも当てはまることですが、アフィリエイトは結果が出るまでに時間がかかります。経済的にも、精神的にも追い詰められている時に、結果が出ない毎日を突きつけられることほど、しんどいものはありません。

何度も、逃げ出したいと思っていました。

ただ、逃げたところでどうにもならない。自分の人生を切り開くためんは、今、ここで、踏ん張り続けなければならないということもわかっていました。それを思うだけではなく、身体でも実践し、その気持ちを強く持ち続ける上で、座禅はとても相性が良かったのだと思います。

僕のアフィリエイト作業は禅がベースになっている

自分が実践するときもそうですし、うちのスクール・パワートラベラー実践会でも伝えていることですが、

ただ、やる

ただ、積み重ねる

ことを言っています。

モチベーションの有無に作業をさせるのではなく、ただ目の前の作業をやり続けること。結果が出るかどうかは、モチベーションの有無によるものではなく、必要な作業を、結果が出るまでやりきることができるかどうかによります。調子の良いときだけやるのではなく、調子が良くても悪くても、粛々とやり続ける人にこそ未来を切り拓く力が宿ります。

ただ、座り続ける。座禅で学んだ精神性を、僕はそのまま日々の作業に活かしています。

ただ、書き続ける。ただ、やり続ける。

気乗りしない日も、とりあえず何かをやる。

余計なことを考えない。余計な想いが浮かんできたとしても、それに逃げずにやる。

出国してからは座禅を組む機会は少なくなり、この数年はすっかり忘れていたのですが、起業当初に座禅から学んだ精神性が今も生きているように感じます。

何かを目的に座るのではなく、座っていたら何かが変わる日がやってくる

座禅は、何かを目的にしてはじめるものではないと思っています。

集中力をつけたいとか、逃げない精神性を身につけたいとか。そういう「ただ、座る」こと以外のことを目的に座禅を組むのは、座禅の精神性からは外れる行為とされています。

ですが、座り続けることで自然と何かは学びますし、何かは手に入れることができます。何かが変わる日も、やってくるのだと思います。

座り続けてきた1年半を通じて、僕は「逃げない」「今ここでやり続ける」という精神性を手に入れることができました。それはその後の人生を通じて、

僕はその後の人生を通じて、生き方のベースになる考えを手に入れることができたのだと思っています。

阪口ユウキ

追記:

僕はこの本から禅のマインドを学んでいます。今は絶版になり、中古で出ているもののだけになりますが、それこそボロボロになるまで起業当初は読み込み、実践をしていました。

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