家族で京都水族館に出かけてきました。
娘も1歳半、最近はベビーカーにも乗らなくなり、自分の足でどこでも歩くようになりました。
水族館でも自由に歩き回っていたのですが、足を止めるもの、熱心に眺めているもの、興味を引くものが、当然ながら僕のそれとは違います。
僕は、水族館に来ると、すぐさま魚の説明書を読んでしまうタイプなのですが、娘は、水槽に差し込む光がゆらめいている様子を、熱心にずっと眺めていたりして。
そんな視線を追いかけると新しい発見があり、「娘の瞳から、世界はどんなふうに見えているんだろう。どんな世界を、僕は見せることができているだろう」と、いつも考えていたりします。
僕は最初、子どもが生まれたら育児に専念できるようにと、仕事の自由化や仕組み化を進めていました。なるべく家で、子どもと一緒にいたいと。
しかし、実際にそうした生活を続けていたとき、ふっと、「娘の瞳から、僕はどんな風にみえているのだろう」と考えるようになりました。
いつも、一緒にいるパパ。それは聞こえはいいですが、逆に言えば「いつも同じパパ」でもあります。僕が家の中にいる限り、娘がみる世界は広がっていかないんだと気が付きました。ここ半年ほど、モナコやヨーロッパの社交の場や、クラシックカーでのラリーに参加するなど、これまで足を踏み入れたことがなかった世界に飛び込んでいるのは、そんな理由が大きかったりします。
家族がどれくらいの広い世界を舞台に生きることができるか。それはひとえに、親がどのくらいの世界を自分の中に内包しているか、ということと同義なのだと思います。自分の好き、嫌い、興味がある、なしにかかわらず、今は色んな世界に足を踏み入れて経験値を積みたいと思っていますし、それが後々、娘がどれほど多く人生の選択肢を持つことができるかに繋がっていくと感じています。
そういえば今日は、娘ははじめての水族館でした。水族館の中は安心して散歩もできますし、色んな色彩がきらめいていて、娘もたのしそうです。また、定期的に来たいなと思う時間でした。
POWERTRAVEER 阪口ユウキ