1月末は東京出張、そして今は沖縄に来ています。
最近、自分の生き方をちょっと変えてみることにしました。
自分が会ったことがない人に会う、異業種の人と言葉を交わすということをしています。
東京では、妻の投資のお師匠さんをはじめ、外資系コンサルで働いている高校時代の同級生や、解剖生理学を専門とされている大学教授と。
今日沖縄では、以前からFacebookでお付き合いのあったトリックアートの画家さんとお話する予定です。
自分が住んでいる世界と、違う世界で住んでいる人の言葉は新鮮で、新しい気づきをたくさんいただいています。
PCを通じて見える世界は、世界のほんの一部でしかない。
僕の仕事は、収益があがるWEBメディアを個人で運営すること、そして、そうした仕事で見える風景をインターネットを通じて発信することです。
そのため、PCに向き合う時間が自然と長くなりますし、一日中ずっと画面に張り付いている日も少なくありません。
ですが、
PCを通じて見える世界は、世界のほんの一部でしかありません。そんな当たり前のことを、ここ数日改めて気付かされました。
好き、ということの弊害
僕は自分の仕事が「好き」なので、時間を気にせず、ずっとPCに向かい続けてしまうのですが、
「好き」ということが、
自分の目を曇らせたり、無意識のうちに世界をフィルタリングしていることもあるのだと、思うようにもなりました。
「自分が好きでやりたいと思っていることは、必ずしも最高の結果を生み出すわけではない」
これは、妻の投資のお師匠さんから教わった言葉です。
自分が好きでやりたいと思っていることは、あらゆる選択肢の中のひとつでしかありません。ですが、仕事が「好き」である限り、
「より生産性が高く、より結果を出す選択肢があるのではないか?」
という思考には至りません。
僕はもともと小説家やミュージシャンを目指していましたが、それによって得たい結果は、
・時間と場所にとらわれない仕事がしたい
・色んな世界に触れに行きたい
といったものでした。
しかし今、そうした時間や場所にとらわれない仕事を叶えられているのは、小説でも音楽でもなく、ビジネスとインターネットの力です。もし、僕が「好き」だからという理由で小説を書き続けていたら、今もくすぶっていたに違いありません。
好き、ということに甘えずに生きる
好きな仕事をやる、やりたいと思うことをやる、それは幸せな状態です。でもそれが、
・世界のあらゆる可能性の中で、一番好きか?
・世界のあらゆる選択肢の中で、一番結果に結びつきやすいか?
といった検証は、あまりしないものです。
そこで思考を止めないこと。様々な異分野の人に会い、色んな世界に触れながら、自分のあり方を模索し続けること。
今目の前の仕事の成果を上げる努力をするだけではなく、そうした問いかけを続けることも、生きる上ではとても大事なことなのだと感じています。
あなたが好きでやりたいと思っていることは、本当に、最高の結果を生み出すものですか?
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