住み込み寮は、旅館の裏手、山道を五分ほど歩いた場所にある。
若い社員と派遣のほとんどはここに暮らしていた。
住み込み寮は1階が男性で2階が女性になっている。
玄関は別々で、女子寮は螺旋階段を上った先に入口がある。隣にもう一棟2階建てのアパートがあるが、こちらは古株の先輩(3年以上)に与えられる特別な部屋なのだそうだ。
住み込みの短期滞在者用のシンプルな部屋
部屋は六畳一間のフローリング。
壁の色は淡い黄色がかった白色で、高い天井の真ん中に蛍光灯が四本並んでいる。
壁際にベッド、その隣に冷蔵庫、その頭の上にアナログTVが置かれている。エアコンは右上隅。左の壁には洋服をかけるフォックのついたレールが伸びている。右の壁の半分はクローゼットと収納スペースになっていて、開けると制服の予備が三着ぶらさがっている。
必要最低限のものしか置かれていない、まさに住み込みの短期滞在者用のシンプルな部屋だった。
浴室と洗面所、トイレは共同になっていて、廊下の真ん中にある。
洗面所には洗濯機と乾燥機が二台ずつ、いつもゴウンゴウン音を立てながら誰かの洗濯物が回っていた。
端末は圏外。
来る前から予想はしていたことだが、持ってきたWimax端末は圏外だった。
仕事終わりにはサイトを作れるかもしれない、と思っていた淡い期待は打ち砕かれた。サイトを作ることがなくても、インターネットにどっぷり浸かった世代の人間だ、ネットがない世界でどう暮らしていいか、イメージがつかなかった。
東南アジアのゲストハウスのような寮生活
部屋も天井の壁も薄く、社員同士で談笑する声がいつも四方八方から漏れ聞こえていた。
22時半を過ぎると寮の中が騒がしくなる。22時に仕事が終わり、風呂を上がって、こちらに戻ってくるメンバーだ。
寮生活というものはこれがはじめてだったが、なんとなく、東南アジアで暮らしたゲストハウスに似ていた。
薄い壁、共用のバスルーム、笑い声は、安ゲストハウスの3大要素といってもいい。旅をしていた頃のことを思い出し、懐かしさすら覚えた。
でもその雑音が全く気にならなかったのは、仕事があった日はいつも疲れ果てて、泥のように眠っていたからだ。
部屋と車にこもって一年以上を過ごした自分が、いきなり豪快であけすけな九州人に囲まれ、わけのわからないまま仕事をこなし、しかも「島」というロケーションで逃げ場もなく、とにかく必死で生きてくしかない状況に放り込まれている。
「うつ病だったので……」なんて弱音を吐く余裕は微塵もなかった。
食事は休憩室で、おばちゃんがつくってくれる賄い飯を食べる
昼と晩は、休憩室のおばちゃんが賄い飯を作ってくれた。
だいたい昼勤務が終わると賄いを食べて、一度部屋に戻って休憩し、夜の仕事に出て行く。夜22時過ぎに全ての仕事が終わった後で、晩御飯を食べるのが常だった。
「今日はB勤で楽だからいいけど……これだけ周りに何もないと、働いてるほうがマシだよなあ」
休憩室で賄いを食べている時間は、派遣同士の気楽なしゃべり場になっていた。
年下の社員さんとは上手く距離感が掴めず吃ってばかりいた僕も、この時期だけ派遣された間柄だと、気軽に喋ることができた。
「そうですね……何もないし、やることないですもんね」
「そうそう。忙しいのは疲れるから嫌だけど、働けないのはもっと、な。前に働いてるところもけっこう暇でね、あんましシフト入れなくて稼げなかったんだよ」
「色々なところを回ってきたんですか?」
「そう。ここの前は軽井沢でね、あとは北海道、。それからここ」
「ここの仕事は忙しい方ですか?」
「うーん、まあお盆前だからどこもこんなところじゃないかな。まあ稼ぐために来てるんだから、るべくシフト入れてもらったほうがいいんだよね」
住み込みで働きにきた目的
僕がここに来た目的は、まず「働く」という感覚を取り戻すこと。
そして、うつ病の間に弱った性根を叩きなおし、対人恐怖を治すことにあった。
実家から通える範囲の仕事であれば、また部屋に引きこもってしまうかもしれない。でも住み込みの仕事で、しかも寮生活となれば、無理にでも人と交わらずにはいられない。
僕は、引きこもってしまう原因のひとつは、引きこもれる環境があるからだと考えた。
実家があり、ご飯が出て、家にいることが許されてしまう環境。しかし、もしその環境がなくなってしまったらどうなるだろう。着の身着のままで社会に放り出されたら、頼るべき一人もいなくなれば。僕は、そいつは自立するしか他に道がないと思うのだ。
必死で働き、生きていなくてはならない。
その危機感は、僕がうつ病であったことを忘れさせた。
“仕事をするだけ”の生活は心地よさすら感じた
ひとたび夜バイキングの戦場に駆り出されれば、もはや走りぬくしかない。
生ぬるいことを言っていれば、いつ飛び蹴りが来るかわからない。誰かに甘えてしまうひ弱な感情は、ひきちぎれるような体中の筋肉痛や激務の中で、いつのまにか消えてしまっていた。
どんなに辛くても、タイムカードを押してしまえばそれでおしまい。夜は夢も見ずにぐっすり眠り、翌朝また仕事に出かけるシンプルな生活。
そんな「仕事をするだけ」の単純明快な生活は、心地よさすら感じるものだった。
本当に辛いことというのは、自分の方向性が見えず、人生を諦め、ただ無意味にベッドに上に横たわって天井を眺めることしか出来なかったあの時間のことだ。
皮膚がだんだんと腐っていき、二度と起き上がることができないのではないかという恐怖。
友達に忘れ去られてひとり虚しく人生が終わってくことの不安。
涙も嗚咽も誰にも届かないあの狭く息苦しい空間……。
あの無為な時間に比べれば、肉体労働はなんと心地いいものだろうと思った。
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