仕事の休日はやることがなかった。
島にはコンビニのひとつもなく、あるのは白浜と瑠璃色の海と、くっきりとした青い空だけ。
一番近い繁華街といえば博多だが、そこまでバスと電車、あるいは船を乗り継いで一時間かけなければ辿りつけず、海水浴目当ての人しかこない、まさに孤島と呼ぶにふさわしい環境だった。
仕方がないから浜辺を散歩したり、ぼおっと海を眺めている他時間の潰しようがなかった。
夏本番、賑わう志賀島
旅館の前に広がる白浜は福岡でも屈指の海水浴スポットらしく、八月を過ぎると色とりどりのビーチパラソルが立ち並び、浜辺は多くの人で賑わった。
浜辺では、スキムボードという遊びが流行っていた。
通常のサーフボードではなく、スケボーと同じくらいの大きさのボードに乗り、波打ち際を滑走する。とても面白そうだし、サーフィンに比べると手軽に遊べそうだった。
香椎には福岡一、いや品揃えは日本一を豪語するサーフショップがあるようで、ぜひともあのボードを手にしてみたい誘惑にかられる。
これまで自分はマリンスポーツなるものを指をくわえて眺めるだけで、自分には関係のないものと決こんでいたが、そうしない権利もあるのだと、今更ながら気がついて愕然とした。
寝転べば絵に描いたような夏の青空、耳に響くは波に戯れる人々の歓声、無邪気で華やぐ子どもの笑顔、波打ち際を滑走するスキムボード、大胆に露出した水着の女の子たち……。
それは僕にとって、目が眩んでしまうほど眩しい世界だった。これまで自分は、どれだけ多くの青春を素通りしてきたのだろう。
うつ病になってはじめて出来た友達
住み込み寮には色んな人が集まっていたが、その中でも僕が唯一、気楽に話せる人が長谷川君だった。
長谷川くんは一つ年上の25歳で、僕が入った翌日に隣の部屋に越してきた、いわば同期だ。
「去年まではオーストラリアにおったんよ。ワーホリで。農場で働いとった」
少年のような瞳がくりくりとした、茶色いサラサラ髪の、人懐っこい笑顔をする青年で、よくトレーニングされた小柄で浅黒い体躯が、見るからに旅人っぽい雰囲気を出していた。
「自然が好きよね、俺は。広い農場に住み込んで、色んな国の奴等と働くのはなかなか面白いっちゃね。休みの日はみんなで車借りて山に登りに行ったり、バーベキューしたり、半年間おったけど全然飽きんかった。そこで貯めた金で旅したり、山に登ったりしとってね」
「山?」
「そう山。登山。好きなんよ。今度の週末も登りに行くよ」
長谷川くんはiPadをさらさらめくりながら、山登りの写真を見せてくれた。そこには異国の街の友人と共に、荒々しい岩肌の山頂を誇らしげに踏破する長谷川君の姿があった。
「それからもずっと、住み込んで働いては山に登って、また働いてってゆうのを繰り返してるっちゃね」
「今回の仕事が終わったら、また旅に出るの?」
「そうね。ネパールとか行こうと思っとうよ。まあ20代のうちは素直に、自由に生きんとね。阪ちゃんはお金貯めたら出国するん?」
「ううん、まだ。今年から、WEBの仕事をひとり始めたんだけど上手くいかなくてさ。当座の資金が溜まったらもう一度チャレンジしてみるつもり。それで、稼げるようになったら、出国しようと思ってるよ」
「旅しながら WEBの仕事やると?」
「うん。ネットあればどこでもできる仕事がしたくて。ホテルとか、カフェで仕事できたらいいなと思って」
「そうやね。そうゆうのは良かね」と長谷川くんは笑いながら、「俺はあましネットとかわからんけど、応援しとるよ」
長谷川君はレストランではなく受付に回されたので、仕事中はあまり顔を合わせることがなかった。
それでも休憩時間がかぶったり、風呂場で会ったり、休日がかぶったりするとお互いの部屋を行き来して言葉を交わした。
こんな風に同世代の誰かと気軽に話したのはいつ以来だろう。長谷川くんは、僕がうつ病になってからはじめてできた友達だった。
次の記事「高卒で働く二十歳の地に足ついた逞しさ」に進む→