先日、骨董屋を営んでいるTさんと、中華料理屋でお話してきました。
Tさんは、昭和時代の文豪のような出で立ちをされていて、まさに「骨董屋」という肩書きにふさわしい雰囲気を纏っている方。
Tさんは大学を卒業して、すぐに骨董の道へ。
その当時はバブルの終わりで、市場はまだまだ売り手市場。
にもかかわらずTさんは、その売り手市場を蹴り飛ばして、単身、骨董の道に飛び込んでいきました。以来二十数年間、その道で生計を立てていらっしゃいます。
どうしてまた、骨董の世界へ?
「どうして骨董屋の道に入ったんです? 大学で美術とかを専攻されていたんですか?」
「いや、大学は法学部でね、まったく関係ないんだよ」
「じゃあ骨董は、卒業されてから」
「そうそう」
「それはスゴイですね!というか、なんでまた骨董の道へ?」
「僕は芸術は昔から好きでね。もし才能があれば、そっちの道に進んでみたかった。でも、その才能は自分にはないことも知っていたんだ。
だから、良いものを見つけてきて、それを自分の価値観で売れるような仕事をしたいと思った。そんな仕事を探したら、骨董屋しかなかったんだよ」
その言葉に僕はとても親近感を抱きました。
僕が世界に出るためにWEBの仕事を選択したのと同じように、Tさんにとっては、それが骨董だったのでしょう。
Tさんは仕事が自由業なので、暇な時間も多く、その空き時間に僕同様、WEBサイトを作って小銭を稼いでいると話していました。
本物と偽物の見分け方とは?
「僕なんか、骨董品とか美術品なんかを見ても、それが本物かどうか、全然わからないですよね。でもTさんはわかる、僕らの見える世界って、違うんだなあと思うんです。Tさんって、どんなところを見てるんです?」
「うーん」
とTさんはちょっと考えこんで、
「昔は細かいことを気にしていたけど、今は、絵の全体かなあ」
「絵の、全体ですか?」
「そう。絵の全体。
僕が昔、弟子入りをしていた先生がね、『Tくん、この絵が本物かどうかわかるかい?』と、ある掛け軸の前で聞いてきたことがあってね。
僕は印や署名の筆跡を見て鑑定しようとしたんだけど、結局わからなかった。まだ僕が若いころだったけど、その当時は、細部の差異にだけこだわった、そうゆう絵の見方しかできなかったんだ。
そうしたら先生が言うのさ。
『ほら、ここに、一匹の昆虫がいるだろう。昆虫の脚というのは、もっと力強く地に踏ん張っているものなんだ。その力強さがこの絵にはない。
軽い。
この方が本物なら、昆虫一匹でもきちんと観察したはずだ。こんな、ないがしろに絵を描いたりはしない』
と言われて。結局その絵は偽物だったんだね。
僕はそんなところに一匹の昆虫がいるなんてまったく見えていなかった。それからは絵の全体を見るようになって、そのあと、細部を確認するようになったんだ。今では、偽物には、なにかしらの違和感を感じるようになったよ」
僕の仕事の「昆虫」はどうなっているだろう。
僕はこの話を聞いたときに考えたのは、
「果たして僕は、自分の仕事の中にある”一匹の昆虫的な部分”をきちんとできているだろうか?」
ということでした。
きっと、それはできていない。僕の昆虫は、踏ん張れていない。若いころのTさんと同じように、きっと、昆虫がいることにすら気がつけていないのだと。
仕事でも人間でも、本物であるためは、全体的に見て違和感がないだけでなく、そうゆうこともきっちりやらないとダメなんだろうな。そういうことを、Tさんと話していて学びました。
僕の昆虫は、まあそんな感じです。
あなたの昆虫は、どんな状態ですか?