先日、僕の大学時代の友人であり、今再起をかけて奮闘しているNの話をしました。
「仕事を辞め、福岡から逃げ出し、それでも男は理想を目指す」
⇒https://powertraveler.jp/post-2124/
この記事はとても反響があり、たくさんの方から、Nに向けての励ましのメッセージやいただきました。
本当に嬉しいです。ありがとうございます。
彼は今、「心の問題」を解決する専門家として生計を立てることを目標に、どうすればコーチングで生計を立てられるか、自分の理念に共感する仲間やお客様を集められるかを考えています。そんなNから、この1ヶ月間、どんな気持ちで仕事をしてきたかどんな思いで再起を志したのかメッセージをもらいました。今日はそのメッセージを、ご紹介させていただきます。
みなさまこんにちは、阪口くんの友達のNです。
僕は3週間で100記事を書き上げたのですが、それははっきり言って僕に取っては予定外だったんです。僕は「記事=日記」と思い込んでいたのですが、それだけではなく、トップページやその他も含めて「記事」というのですね。なので、「100記事いったよ!」といわれたときは、「はて・・?」という状態でした。それくらい僕は素人ですが、がむしゃらに書き上げました。今はメルマガも書き上げて、徐々に人が増え始めています。
ですが、それも微々たるもので、はっきり言って、今も収入も無く貯蓄は底をつきそうです。それでも、走らなければいけない。なぜここまで書き続け、それでもまだ走るのか? 自分でも分からないのですが、止まってしまった蛇口をひねるように、書き出してみたいと思います。
僕はこの前、阪口君が書いてくれた記事の通り、全てを投げ出して文字通り鞄ひとつで18時間の夜行バスに揺られ、新宿へ辿り着きました。何もない状態で何をしようかも分からない。「もう一からやり直そう。何から始めようか」本当にそんな状態のままついたのです。まずは寝床を確保しないといけないのでゲストハウスを申込みして即座に入居を決め、その後100均で衣類など最低限のものを買い集めました。
そして、1日500円と食費を決めて、とりあえず「生きる」をスタートさせました。生きるためには生産活動が必要です。まずは自分が人生かけてやりたいことを悶々と考える日々をスタートさせました。でもそこで思い浮かんでくるのは、7年間の社会活動の日々と自分のやっていたコーチングでした。
それと、自殺未遂をした前日の、阪口君の顔でした。
僕は数奇な人生なのか、彼の他にも、リストカットをした友達から相談されたり、友人が浮気をしそのまま離婚したり、家族でもうつがいたり、自分がうつになったりと、心の問題を持った方と会うことが多かったのです。そして、どの時も、救えなかった。
4年前のあの日、阪口君は大学のベンチで「N、もういいよ、こっちに来いよ。疲れたよ、俺は」と言い残し、その次の日にwebに遺書を残しました。僕はあの日、自宅で天井を見上げ「まただ・・」と泣きました。僕はまた人を救えない。泣いても意味が無いことは分かっているのに。
そして今、自分すらこういう状況となり、本当に人生の再起をするんだったら、やっぱり僕は、本当に心を救える人になりたい。生きていることは誰だって出来る。それだけ人は素晴らしいんだと、言える人を増やしたいし、そんな社会を作りたい。結局原点に辿り着くと、そこだったんです。
けれども、社会活動をすればお金がなくなる。そしてまた本業のコーチングでは食べていけず派遣を繰り返す。朝駅から通勤ラッシュに急ぐ人たちをみて思いました。「この人たちの8割以上は、会社に行きたくなくて行っている。誰がそんな風に人間を作ったんだろう?そんな社会、そしてそんな人生はもう嫌だ」と強く思いました。
だったらば、自分は再起したい。何もなくてボロボロだけど、再起したい。辛くて苦しいけど、やるしかない道がまだあるならば、それで生き残りたいんだと涙ながらに、心に火をつけました。でも、結局何をすればいいのか分かりません。今までのように、年間何百人もの人に会ってお話をするようなことは、意味がないんだろうと思っていました。
そこで、阪口君の「powertraveler」の職業と記事を見たのです。彼は世界を飛び回っている。しかもPC1台で。詳しく見てみると、アフィリエイトビジネスをやりながら、自分ブランディングのコンサルティングをしていることが分かりました。
そして僕は、「アフィリエイトをやることでマーケティングを阪口は学んだんだ」と気付きます。もしかしたら、何か道があるのかもしれない・・そう思って、彼にメッセージをしました。今メッセージを見ると、相当悲痛な叫びでした(笑)
そして彼と会いました。会った瞬間にお互い涙をしました。そして今の状況を延々と彼に話し続けました。うんうん、と彼も聞きながら泣きながら、聞いてくれました。本当に辛かった。福岡を飛び出してから今まで、人の温かさ、ぬくもり・・そういったものに触れた、久しぶりに呼吸をした感じでした。それから彼は「俺ならこう描く」とmacにメモをとりながらどんどん話を進めていきます。
そして、「これで半年〜1年でメシが食えるようになるよ」と断言しました。
それが嘘か本当か今の僕には分からない。けれども僕は彼を信じていたし、ずっと会いたかった。そして、この縁を大切にしたいと強く思った。彼のコンサルは本当に凄まじいものでした。「どうして、こんなにしてくれるんだよ?」僕がそう聞くと、彼ははにかみながら「なぁN、人を助けるのに、理由なんていらないよな」と笑っていました。また涙が出てくる。そんな繰り返しでした。僕はあの日を絶対に忘れないと思います。
それから、諸々のweb上の手続きを済ませて、まずは1日10記事を目指して書いていこう!と指示が飛びます。早速取りかかりました。くる日もくる日も、朝起きたら記事を書いて15時に腹が減り近くの弁当屋で安い弁当を買い、夜は22時にスーパーの半額総菜とご飯を食べる。そんな日でした。1週間くらい体調が悪くて熱が上がったり下がったりしました。
1日だけ1記事も書かない日がありましたが、それでも書き続けました。ネタはyahoo知恵袋から取ってきたり、今までのお客さんの声から拾ってきたりして、書きました。絶対にもう諦めたくない、自分で掴もうとする道を逃すのではなく捕まえたい。今もその想いは変わらずにもがき続けています。そして、気付けば記事は100記事でした。
でも、まだまだ僕の夢は続きます。たくさんの人に自分の存在を知ってほしい。そして、思いやりや気配りを大切にする和の心を大切にする社会を本気で訴えたい。そんな人たちとコミュニティを作りたい。そんなふうに思っています。だからまだ、夢のほんの1mmなんです。
僕は本当に何も分からない、何もできない人です。けれども夢と意志と、人に対する愛だけは忘れたくないって思ってます。阪口くんのことも本当に大切な友人です。4年前は助けられなかったけど、彼のように困っている人、人生に迷っている人がいれば、絶対に今度は助けられると思います。それだけのどん底を味わって、それでも前を向く人が自分であれることが嬉しくもあり、でも不安な時もありますが、今は前に進み続けます。そして、ぐっちょん、本当にいつもありがとう!
僕がNに会ったのは11月の初旬。この1ヶ月ちょっとの間に、彼は次のことを仕上げてきました。
- 自分の専用ブログ(Wordpress)を立ちあげ、記事を100記事書く。
- ブログのデザインを整え、正しい記事の編集方法と写真選定を覚える。
- Facebookブランディングの構築。プロフィール写真の変更、カバー写真の編集、過去の不必要な投稿の削除。
- より自分のことを理解してもらうためのメールマガジンを発行、現在「人間関係の悩みを解決する考え方」を中心に15記事を執筆。
- Facebookを活用してフォロワーと友達を増やす(=露出の増加)
この5つです。
僕は自分の理念を伝え、共感する仲間やファンを集めるメディアを、「自分メディア」と呼んでいます。Facebook、ブログ、twitter、メールマガジン……自分のことを正確に伝え、相手とコミュニケーションを取る媒体。「自分」というものをコンテンツに生計を立てていく場合、この自分メディアの育成は必須になります。
彼はその自分メディアを、あっというまに、こちらが驚くほどのスピードで仕上げてきました。記事を100記事書くこともそうですが、メールマガジンのステップを15通、これを数日間で書き上げることもなかなかできることではありません。彼の想いとガッツは本物です。
これから本格的に、彼が思い描く仕事で生計を立てるためのプロセスに進んでいきます。まだまだ、乗り越えなければならないハードルがありますが、きっと彼なら越えて行くと信じています。
<追伸>
それから半年後。彼は順調にコーチとしての実績を伸ばし、今では国内を飛び回りながら、色んな人の心を癒やす仕事ができるようになりました。彼のFacebookには、いつも国内をスーツケースひとつで出張しながら、多くのクライアントと会っている様子が紹介されています。
ブログやFacebookを通じて自分に共感してくれるお客様を集め、彼らの話を聞き、コーチとして彼らの人生を導いていく契約を結ぶ。自分が「好き」と思えるような仕事で、サラリーマン時代以上の収益をあげることはもちろんのこと、この仕事を通じてたくさんの人にポジティブな影響を与え続けています。