小学校の遠足か課外授業か何かだと思うのですが、バルセロナのゴシック地区の街路を、小さな子どもたち列を作って歩いている場面に出くわしました。
みんな仲よさげに、ある子たちは手をつないで歩いていたりするのですが、スペイン系っぽい子がいれば、アラブや中東よりの肌色の濃い子がいる。そのハーフっぽい顔立ちの子もいる。肌の色は白くても、髪の色がみんな違っていたりする……・
そういった、見た目には共通点がなさそうな子どもたちが、ひとつのクラスの仲間としてアラブ系の先生に連れられて歩いている。それが日本にはない光景で、とても新鮮に映りました。
ヨーロッパの街を歩いていて思うのは、色んな人種が混じりあって、ひとつの街を構築していることです。
このバルセロナの街を歩いていても、浅黒いスペイン人が客引きをしているかと思えば、移民でやってきたネパール人だったりする。繁華街を少し離れたところにはアラブ人街があって、普通のスーパーでは売られていないような香辛料が売っていたりする。中華民族はどこにでも店を出し、たくましく商売に励んでいたりする。
観光客の多い場所では、ナイジェリア人たちが、白いシートの上に偽物のブランド品を並べて観光客に勧めている光景に出くわします。彼らはナイジェリアマフィアがしきっている違法露天商なのだとか。夜になると路上でビールを売る露天商も出てくるのですが、こちらはほとんどがパキスタン人だそうです。
そしてその中を、世界中から集まったツーリストたちが歩いて行く。ほんとうに多様な人種と民族が入り混じった、ごった煮のような状態が日常になっている街なのです。
一方で日本を振り返ってみると、日本は、「日本人」でそのほとんどが構成された、世界的にもとても珍しい国です。
もし日本国民の比率が、朝鮮人が1割、中国人が2割、タイやマレーシアなどの東南アジア民がまた1割、そうして日本民族の比率が5-6割くらいになったとしたらどうなるか。社会の仕組みはもっと複雑になるでしょうし、民族ごとの摩擦も出てくるでしょう。(最近の日中・日韓関係のように)しかし、こうした状況は、日本以外の国ではあたりまえになっているのです。
世界はいろんな民族でできていて、それが交じり合って日常を作っている。海外、特にヨーロッパに来ると、僕はそのことを強く感じます。そしてそれは、僕ら日本人には生来的に持っていない感覚のように思うのです。世界はいろんな民族でできて、それが混ざり合って日常を作っている。バルセロナの街を歩きながら、僕はあたらめてそのことを考えています。
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