僕がはじめてスターバックスを利用したのは、大学1年生の春、大学帰りに友人に誘われて入った、「スターバックスコーヒー 池袋西口店」でした。
千葉の田舎から出てきた僕は、スターバックスという言葉は知っているものの、店内に足を踏み入れるのははじめて。
当時、僕にとって「コーヒー」といえば、千葉県民には馴染みの深い「MAX COFFEE」か、マクドナルドの100円コーヒーの2択で、僕の中のコーヒー相場は、100円〜120円という図式ができあがっていたのでした。
メニューをみると、一番安いドリップコーヒーなるもので290円。なんとかフラペチーノになると500円は超えてくるその価格帯に、これはえらいところに飛び込んでしまったと、池袋の雑踏に逃げ出したくなる気持ちを抑えながら、一番安いという理由で、何が出てくるかもわからない、ドリップコーヒーを注文したのでした。
そのとき、一緒にスタバの店内に入ったのは、同じサークルに所属していた、ゲンという男でした。
ゲンは、高校時代から「暇だったから」という理由で、学校帰りにビジネススクールに通い、高校を卒業してからは1年間アメリカに渡り、そこでビジネスと医学を学び、日本の大学に戻ってきたという男でした。
僕にとっては理解のできない経歴で、まさに「小説の中から抜け出してきたような」、自分の世界観から大きくハズレたところで生きている、憧れと羨望と、居心地の悪さを感じずにはいられない、そういう男でした。
ドリップコーヒーすらどもりながら注文する僕の横で、ゲンは颯爽と、淀みなく、
「抹茶クリームフラペチーノ アドショット グランデで」
と、言ったのでした。しかもそのまま、可愛らしい女性店員と、談笑していたりする。なんだこれ、なんなんだそれ。ちなみに、フラペチーノという言葉を聞いたのも、それがはじめてのことでした。
しばらくして出てきたのが、なにやら抹茶色のドリンクの上にでかでかとクリームが乗った、いかにも美味しそうな存在感のある、「抹茶クリームフラペチーノ アドショット グランデ」でした。それと並ぶ、いかにも質素でシンプルな、ちまっとした、まさに今の僕を象徴するような、ドリップコーヒーのショートサイズ。
「さっき、なんて注文したの?」
と聞いてみると、
「抹茶クリームフラペチーノ。で、アドショットって、エスプレッソを追加してるんだけど、そうすると甘ったるさがなくなってちょうど良いんだよ。飲んでみる?」
通常の抹茶クリームフラペチーノの味すら、わかりません。何が違うのか一切理解ができないままに、「ああ、なるほどね・・・」と、よくわからないコメントをしながらも、ほのかに苦味を感じるその味は、なんとも都会な、洗練された味のように感じたのでした。
「店員の女の子と話してたのは?」
「ああ、なんかアドショットって注文のしかたが珍しいらしくて。メニューの中にはないらしんだよね。俺はアメリカでこれで頼んでたから、そのまま伝えたんだけど。詳しいですねって会話になって。そういやあの子、可愛かったね」
抹茶クリームフラペチーノ アドショット グランデ、を注文できると、そんな魔法のような展開になるのか。人間としての圧倒的な経験値の差と、憧れと、舌に残るエスプレッソの苦味とが相まって、その記憶は強く脳裏に刻み込まれたのでした。
学生を卒業し、起業をして、旅をする中で。僕は幾度となく、スターバックスに足を運んできました。
バンコクのカオサン通りで、
フランスのパリオペラ座近くで、
ジャマイカの港町で、
いつのまにか僕は、きっと、ゲンよりも多くの国と地域のスターバックスに入ってきたのだと思います。スタバのメニューも読めるようになりましたし、注文にも迷いなくなったどころか、英語やタイ語、ラオス語、スペイン語、フランス語といろんな言語で、僕はコーヒーの注文ができるようになりました。
ただ、
なんとなく、
抹茶クリームフラペチーノ アドショット グランデ だけは、
注文時にその名前がちらつくものの、注文を無意識にさけてきたのでした。普段甘いものをあまり飲まないこともありますし、スタバで500円を超すコーヒーは高いという意識が抜けないこともあります。ソイラテとか、ほうじ茶を注文する日々が、長く続いていたのでした。
それが、昨日、ふっと、
妻とショッピングセンターに買い物に行き、スターバックスに入ったとき、なぜか急に、僕はそのドリンクを注文してみようと思ったのでした。「抹茶クリームフラペチーノ アドショット グランデ、で」一回も噛むことなく、自然に、流暢に、僕はそれを言うことができました。
「え、なんなん、それ」
普段、絶対に、注文をしないフラペチーノをオーダーする僕を、驚きをもって見上げる妻。いや、これには理由があって、、、と、ここまで書いてきたストーリーを、僕は妻に話したのでした。
なぜ、この日に、このオーダーをしたのか僕にもよくわかりません。ただなんとなく、そろそろもう、この思い出を克服してもいいのではないかという気が、したのだと思います。
学生ながら起業をして、ビジネススクールに通い、女性にもモテ、自分の知らない世界を沢山知っているゲンに、僕は学生時代ずっと憧れていたのでした。ゲンのように、なりたい。いつか僕も起業をしたり、学校以外のスクールに通って自分を高めたり、女性店員に気軽に声をかけて談笑したり、そうしたことができる男になりたい。
卒業してから数年後、僕も起業します。パソコンだけできる仕事をつくり、海外を旅して暮らすようになり、海外の語学スクールに通ったり、女性店員に声をかけることもできるようになりました。ゲンとは卒業以来、顔を合わせていませんが、当時はろくに会話にならず、うなずくことしかできなかった彼とも、今なら対等に、言葉をかわせるのではないかと思うのでした。
あの日、スターバックスで憧れたゲンの姿。あの憧れを、克服するのにはもう十分だろうと、思ったのかも知れません。「抹茶クリームフラペチーノ アドショット グランデ、で」と注文をしたその瞬間に、憧れの光景は、日常になったのでした。
13年ぶりに飲む、抹茶クリームフラペチーノ アドショット グランデ。抹茶風味のフラペチーノの甘さの中に、エスプレッソの苦味を感じる、それがちょうど良いバランスになっている。13年ぶりにも関わらず、ああこれは、あの時に飲んだのと同じ味だと、思い出すことができました。
「抹茶クリームフラペチーノ。で、アドショットって、エスプレッソを追加してるんだけど、そうすると甘ったるさがなくなってちょうど良いんだよ。飲んでみる?」
あの言葉を、僕は今日から使うことができるようになりました。
昔は言えなかった言葉を、言えるようになること。憧れを克服していくということ。大人になるということはそういうことなのかもしれないと、舌に残るエスプレッソの苦味を感じながら、思ったのでした。
阪口ユウキ