見るまえに、跳べ。跳んでから、考えよう。

知らないからこそできる、というものが、世の中には沢山あるのだと思います。

もし知っていたら、逆にできなかったに違いない。その難しさも、それに挑戦することの怖さもわかってしまうから。

「見るまえに跳べ」というのは大江健三郎の小説のタイトルです。大学時代に読んだこの本の内容は覚えていないのですが、タイトルだけは印象的で、ことあるごとに思い出してきました。

見るまえに跳べ、そして跳んでから考える。そうやって僕は自分の人生を切り開いてきたように思います。

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オーケストラの指揮者にいきなり就任した話

ひとつ例を挙げると、僕は2019年からしばらくチャリティーオーケストラの指揮者をやっていたことがあります。

指揮棒を振り、メンバーの前に経ち、楽譜を読み解き指示を飛ばし、舞台にも3回上がりました。

あの、FNS歌謡祭が開催される「飛天の間」で指揮棒を振ったというのは、今も信じられない気持ちです。

音楽は小さい頃から習っていましたし、バンドでベースを弾いていたことはありますが、音大を出たり、専門的なスクールに通ったことはありません。指揮棒は、指揮者に任命されてからはじめて手に持ちました。

しかも初舞台は、指揮者に任命されてから1ヶ月半後に迫っていました。

もしあの時の僕に音楽の専門知識があったら。

指揮者が当然のように有しているべき教養や、人格、重責、そういうものを理解できていたら。

僕は「自分には無理だ」と思い、その任命からは逃げ出していたかもしれません。

わからなかったからこそ、想像すら出来なかったからこそ「できる」と思えたのだと思います。

見るまえに、跳べ

見るまえに、跳べ。

思うのですが、何かを成し遂げるとき、過去の知識や経験があるということは、必ずしも「できる」ことの証明にはならないのだと思います

音楽的な教養や知識、演奏技術は、指揮者をやる上ではプラスの要素です。

ただ、実際にみんなの前にたち、メンバーを率い、舞台に立ち、やりきれるかどうかというのは別問題です。

僕は公演までの1ヶ月半では、教養部分はどんなに急いでも間に合わせることができないと判断したため(もちろん努力はしましたが)、舞台を成功させるために必要な人格的な部分に集中し、そこを間に合わせることに集中しました。

知っているからできるのではない。

知らないからできないのではない。

知っていることと、実際にできることの因果関係は実はないのかもしれません。

わからなくても、やる。

わからないからこそ、できる。

知らないからこそ、やるのだ。

見るまえに跳ぶことで広がる人生が、きっと誰にでもあるのではないかと思っています。

阪口ユウキ

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