以前、STORYS.JPにて、僕が起業当初、大阪のあいりん地区に住んでいたとき(2011年9月〜2012年4月)のストーリーを投稿しました。
LINK:「あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、『◯◯がない仕事だけはしたらあかん』という話」
Youtubeの動画版はこちら▼
この記事で登場している元ヤクザの中條さん(仮名)から、僕は仕事やお金について、色んな考え方を教わりました。
中條さんに教わった話の中で、今も僕が大切にしている考え方シェアさせていただきます。事前に上のリンク記事を読んでいただけると、僕の当時の状況がリアルに伝わるかと思います。
銀行残高の数字に血の気が引いた、とある冬の日のこと
とある冬の日。
そのとき僕は、朝から晩までWEBサイトをつくりながら、なかなか収入が上がらない日々を過ごしていた。
なんとか、アドセンスやアフィリエイトなどの広告収益で、ギリギリの生活費である 「月7万円」は稼げるようになったものの、飢えと生活苦に怯える不安定な日々を過ごしていた。
この日、ドヤの家賃を支払うためにコンビニのATMを利用すると、銀行残高の残りは、11万7000円になっていた。
11万、7000円、、、。
ドクン、と心臓が跳ねる。耳の奥を血流が走る音が聞こえる。
稼げなくなった途端に、生き詰まる金額。
あいりん地区では、たまにボランティアが炊き出しをしてくれ、そこにホームレスの長蛇の列ができる。僕も、あそこに並ぶ日が来るのだろうか。そうなる前に、なんとかしなければ。
複雑な気持ちを抱えたままアパートに戻ってると、ちょうど中條さんが、同じアパートの住人たちと入口で談笑をしているところだった。
ロビーで談笑する中條さんに声をかけられる
中條さんは、この界隈にあってよく目立つ。
着の身着のままの、半寝間着姿の住人たちと比べて、中條さんはあきらかに異質なオーラを放っていた。
草野球の監督のような褐色の肌、つやつやとした顔、異様な眼光の力強さ。
中條さんは缶コーヒーを飲みながらドヤの人と談笑していたが、僕の方に気がつくとドカドカとこっちにやってきて「おう阪ちゃん!」と声をかけてきた。
「こんにちは」
「仕事のほうはどうや」
「ええ、まあ、順調です」
貯金はない。だけど、ここに来た月収0円のときと比べれば、「順調」な伸び率ではあると思った。
中條さんは「何飲む?」と自販を指差していう。「僕も中條さんと同じものを」というと、ちょっとうれしそうにして、ポケットから小銭を取り出して缶コーヒーをおごってくれた。
それを飲みながら話していると、急に、思いついたように、
「阪ちゃん、世の中で一番マジメな働きもんはなんやと思う?」
と聞いてきた。
世の中で一番マジメな働きもんは誰?
「世の中で一番マジメ、、、ですか?」
「せや」
「なんでしょう。でも、言うからには”サラリーマン”ってことはないですよね?」
「ガハハ!そりゃそうや!」
と中條さんは豪快に笑っていった。
「あいつらは会社に守られとるからな。不真面目な奴がいても、会社は簡単に首は切られへんしな。他には?」
「うーん、なんでしょう。それなら僕みたいな自営の人たちは、マジメそうですよね」
「サラリーマンよりは切羽詰まってる奴が多いな。でもな中には悠々自適に稼いでる奴もおるし、一番やあらへん」
「思いつかないです。答えは何ですか?」
中條さんの口からは、驚くべき答えが返ってきた。
「日雇いや」
「日雇い、、、ですか??」
「せや」
「日雇いって、、、このあたりにたくさんいる?」
僕はあたりを見渡して言った。ここ、西成のあいりん地区と呼ばれる界隈は、日雇い労働者の街として有名だ。「石を投げれば日雇い労働者に当たる」ここはそういう土地だった。
「せや。あいつらが世の中で一番マジメな人間やな」
なぜ日雇いが世の中で一番マジメなのか
「中条さん、こんなこと言ったらなんですけど……マジメじゃないから日雇いをしてるんじゃないですか?」
もしマジメに働いていたらこんなところにいるハズがないじゃないですか、という言葉を言おうとして、俺も人のことは言えないなと口をつぐんだ。
中条さんはそんな僕の反応を面白そうに見ながら、
「せや。まあ、ふつうの人間はそう思うやろ。でも逆にいえばな、あいつらは今日働かんと飯も食えへんし酒も飲めへん。今日金をもらっても、明日また働かないと、明日の飯が食えへん。しかも身体が壊れて働けなくなったらそれで終わりや。
「そこの職安に行っても、ぎょうさん日雇いのおっちゃんらがいるやろ。あいつらは何をしたくてあそこにいる?」
「仕事ですか?」
「せや。仕事や。仕事がしたいから朝早起きしてあそこに並ぶんや。でも仕事にありつけへん奴らもぎょうさんおる。そうしたらもう今日の飯は食えへん。そうなったら人間、マジメに働くやろ」
「なるほど」
たしかに言われてみればそうだった。
朝6時に起きて外にでると、作業着に身を包んだおっちゃんたちが、寒空の下それぞれの現場に向かう光景に出くわす。
軽トラに乗り込み、玉出で弁当を買い、口から白い息とタバコの煙を吐きながら、、、 サラリーマンよりもずっと早い時間に、彼らはマジメに「出勤」しているのだった。
面白いようにお金が貯まる方法
「せや、阪ちゃん。面白いように金が貯まる方法教えたろうか?」
「面白いように、、、ですか?」
「せや。知りたないんか?」
「そりゃ知りたいですよ。教えてください」
そんな魔法の方法があるなら喉から手がでるほど欲しい。飢えていた僕には、余計に魅力的なオファーだった。
想定外の答えが飛び出してくるに違いない、そう思った回答は、しかし、拍子抜けするようなものだった。
「日雇いになれ」
「日雇い、、、ですか?」
「正確には、日雇い感覚で働け、ちゅうことやな」
「今日稼いだ以上の金を、今日使わんことや。もし贅沢したいんやったら、その贅沢したい分今日稼ぐんや。稼げんかったら贅沢はしたらあかん」
「これから先、阪ちゃんは稼げるようになるやろ。でもな、どんなに金を稼げるようになったとしても、日雇い感覚を忘れたらあかん。これを忘れると、ちょっと金を稼いだだけで、大丈夫やろとガバガバ金を使うようになる」
「せやからな、昨日稼いだ金をあてにするな。明日稼ぐ金をあてにするな。阪ちゃんが今日使える金は、今日稼いだ金だけや」
「今日稼いだ金で今日生きる。残った金は全部貯金せえ。そしてその金のことは忘れてまえ。そうすれば面白いように金貯まるで。ガハハ!」
*****
中條さんと別れて自室に戻ってから、僕はその言葉を何度も繰り返し頭のなかで反芻してみた。
でも、考えれば考えるほど、その言葉は真実だと感じるようになった。
今、僕の日給は約2000円。家賃が1日1200円、残りは800円。
好き勝手に飲み食いをすればあっという間になくなる800円。
でも、この800円以内で生活をすることができれば、僕はずっと生き延びることができるのだ。そう思うと、手に握りしめた小銭の価値と重みが、ズシリと増したような気がした。
今日生き抜くために、今日を働く。今日がどんな日であろうと、明日はまた明日の稼ぎを得るために働かないといけない。でもその緊張感は、不思議と心地よく感じたのだった。
日雇い感覚で生きる、ということ
あれから11年が経った。
中條さんの言う通り、以前に比べれば、随分と稼げるようになった。
世界を自由に飛び回る力も、家族と一緒にいられる自由も、叶えることができた。WEB資産が増えることで収入の柱も増え、以前のように食べるのに困ることはなくなった。
たまに、
「阪口さんは、どうして今もそんなにWEBサイトを作ってるんですか?」
と聞かれることがある。
起業当初ほどではないにしても、今も僕は記事を書き、データを分析し、新しい市場の隙間がないかを探している。
それはもう、長年やっていて癖になっているということもあるけれど、「日雇い感覚で働きなさい」という中條さんの言葉が、染み付いているからだと思う。
毎日、WEBサイトに向き合い、何かを作り続ける行為は、起業当初となんら変わることがない。でも、それを続けてきたからこそ、僕は沢山の新しい世界と出会うことができたのだと思う。
昨日稼いだお金をあてにしない。
明日稼ぐであろうお金もあてにしない。
今日の分は、今日稼ぐ。
そのことを忘れずに、今日も仕事をしていきたいなと思っています。
阪口ユウキ
追記
あいりん地区での生活は、こちらの本の中に詳しく書いています。中條さんのことも。