昨日はイトコの結婚式に出てきました。
彼は27歳。今は都内の大学院で研究を続けています。
修士過程を終えて、現在は博士課程へ。ゆくゆくは研究員の道を目指していくとのこと。彼の様子や雰囲気をみると、それを無理に頑張って目指しているというより、ナチュラルにその学問が好きで、追求しているように見えました。
研究者として生計を立てる力を身につけるということ。
研究者として生計を立てる力を身につけるということ。
僕は学者の世界はよくわからないので、その苦労がどれほどのものかはわかりません。ただ、学者として生計を立てるためには、大学や企業や国に「この研究には価値がある」と認められる必要がある、ということはわかります。
もし「価値がある」と認めてもらうことがなけければ、どんなに良い研究を続けても、教授や研究者のポストに結びつかないのだろうと。僕がやっている仕事の成功より、彼の研究の成功ははるかに難易度が高いだろうと感じました。
どんな学問を選ぶのか、で分岐する未来。
以前、読んだ本の中で、「イチローはなぜ年俸で億を稼ぐことができるのか?」と問いかける一節がありました。
他の選手よりも技術があるから?
ストイックにトレーニングを続けられる精神力があるから?
ひとつのことをずっと続けられる集中力?
彼が年俸を稼ぐスポーツ選手になれた理由は、「彼が、野球というスポーツを選んだこと」にあると。フェンシングでもバドミントンでも水球でもない、スポーツの中でもズバ抜けて年俸の高い「野球」という競技を選んだことが、彼のこの年俸を実現したのだと書いてありました。
学問の世界にも同じようなことが言えるのだろうと思います。
もし、どんなに自分が好きでのめり込んだ学問があったとしても、その先が、何にも結びついていないこともあります。
社会に与える影響、企業に与える価値、国が求めている成果、そうしたものに結びつかないような学問もたくさんあるのだろと。。そうした理由で学問を諦めたり、ゆくゆくは教授のポストに結びつくよう他の学問に鞍替えをしたり、そういう人も多いのではないかなと思いました。
自分の「好き」のその先が、生計に結びつく未来に結びついている世界は、なんて幸せなことなんだろう。
イトコは、大学院で学びながら、そのつながりで、企業のお手伝いをしていると話していました。生計はそちらで立てていて、研究と仕事を両立することができているのだと。
つまり、彼が選んだ言語学という領域は、なんらかの形で社会に価値を提供しているということです。そして、その学問を追求したその先には、研究者になる道が伸びているのだということが、彼の雰囲気から伝わってきました。
こうしたことを考えた時、僕はこんなことを感じました。
自分の「好き」のその先が、生計に結びつく未来に結びついている世界は、なんて幸せなことなんだろう、と。
自分の「好き」のその先が、何にも結びつかないこともあります。好きだけとお金にならない、好きだけど何も価値を還元できない。趣味として続けるには幸せだけど、仕事にしようと思ったらもう、どうにもならないようなものが、この世界にはたくさんあります。
彼が好きになってのめり込んだ学問の先は未来につながっている。そして、それを支えてくれる奥さんもいる(素敵な可愛らしい奥さんでした!)。それはとても幸せなことなんだろうなあと思いました。
Kちゃん、お幸せに! そして研究の成功を心から応援しています。
<追伸>
彼のように、自分の好きが生計に結びつく未来に通じていることは特別で、多くの人はその不一致にギャップを感じているかと思います。
僕も以前はミュージシャンや小説家を目指していましたが、その夢には挫折しています。好きで生計を立てるのではなく、「自分の理想とするライフスタイルを叶える選択肢ならなんでもいい」と考え方を変えて、今の仕事を作ってきました。結果、「旅をしながら自由な働き方をする、という好きの側面」を叶えることができました。
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