20歳、大学時代にバックパッカーをやっていたとき。
僕は、旅というものは
「思っていたほど自由ではないのだな」
ということに気が付きました。
旅人は、限られた資金の中で出来る限り遠くに行こうとします。
そうなると、滞在時間は短くなり、忙しない毎日になっていく。
新しい街に着けば、新しい宿とレストランを探さなくてはならず、
国が変われば、また新しいルールに馴染まなければなりません。
とても忙しい毎日を、強いられているような気持ちになりました。
なによりも資金的な制限。
旅先で資金が不足してくると、旅を楽しむどころではなくなって、
「あと何日間、旅できるかな…」
と銀行残高との相談ばかりになりました。
面白そうな体験があってもお金がかかるから参加ができない。
美味しそうなものがあってもパンをかじって我慢する。
その状態は、自由とはとても呼べないものでした。
資金が少なくなっても、戦える「武器」が欲しい。
僕は異国の街を歩きながら、「旅中にでもできる仕事の仕組みがあればいいのに」と、思いました。
もし、そんな仕組みを持っていたらこの貧しさとも戦うことができるのに。
とりあえずタイやベトナムや物価の安い国に住み着いて、
数ヶ月滞在しながら仕事をして、旅資金を稼いで、旅を続ける。
そうゆう武器や選択肢のただひとつも自分が持っていないことに、憤りすら感じました。
旅人=自由ではない。
僕は、
「旅人=自由」
と思っていません。
旅人が享受できる自由には限界があります。資金的にも、時間的にも。
もし、その制限を取っ払って、世界中どこでも自由に住み着いて、
好きな人と一緒にいたいなら。
それを可能にする「具体的な力」が必要なのだと思います。
僕はその「具体的な力」が欲しくて、これまでも、
そして今も仕事を続けてきているような気がします。
旅をしながら資金ぐ、そのライフスタイルの自由さ。
「旅をしながら資金を稼ぐ」
その自由度は、ひとことでは言い表せません。
たとえば、数カ月前、ポルトガルのリスボンにて。
平日の夕方に、地中海の遊歩道を歩きながら、
アフリカ方面から吹き抜けるヨーロッパ特有の乾いた風を全身で受け止めた時。
その瞬間に感じていた自由度は、昔、
バックパッカーをしていた頃に自分が感じたそれとは、
まったく別次元のものでした。
この世界は本当に広く、一生かかっても飽きることがない、
素敵な風景にあふれています。
そして、旅人では、旅行者では絶対に辿りつけない地平が、
パワートラベラーでなければ見ることができない景色があります。
僕はそこに行きたい。
その向こう側の風景をこの目で、身体で、いろんな世界を感じたい。
そうして、僕にしか見えない風景をたくさんの人に伝え続けたいと思っています。