昨日、久しぶりに音楽の仕事依頼を受けた。
千葉で音楽活動をしていた時、お世話になっていた方からの紹介で、大手メーカーからの依頼で早急にベーシストが一人必要とのこと。真先に自分に声をかけてくれたようだった。
その電話を受け取った時、まず思ったことは、
「どうしてこんな電話が自分にかかってきたのだろう?」
ということで、
この半年間、楽器に触ることなく、ただパソコンと格闘していた自分は、ほんの一年前まで、プロのミュージシャンを目指して活動していたことを、すっかり忘れていたのだった。
21歳から23歳まで、自分の生活は音楽一色に染まっていた。
仕事をしながら、毎日ジャズに明け暮れ、池袋や新宿のジャム・セッションを梯子し、バンドを掛け持ちして、アレンジ用の楽譜を喫茶店に籠って書き続けていた。
持ちうる限りの時間と情熱を注ぎこみ、全てをベースという楽器に捧げていた。
社会人1年目のプレッシャーと、夢への情熱を両立させることは難しかったけれど、
「夢がある。ただそれだけのために、生きる。叶わなければ、死あるのみ」
という刹那的な生き方は、自己陶酔と快楽の、なんともいえない甘い味があった。
昨日電話を受けるまで、すっかりそんな過去があったことを忘れ去っていたのだった。
その人の声を聴きながら、地獄の窯で煮込まれるような情熱の、ドロドロとしたあの熱い感触を思い出したとき、
それが遠い前世の記憶のように思えて、自分も随分遠い場所に来たのだなと実感した。
「実は、もう音楽からは足を洗っていて、今は大阪で起業して、新しいことに挑戦しているんです。7月から出国して、それから5年間は帰ってこないつもりです。」
そう伝えると、その人は素直に喜び、自分の門出を応援してくれた。
随分お世話になっていただけに、残念がられるのかと思ったけれど、その真逆の反応でなんだか拍子抜けしてしまった。
何をしているのかということより、
何かに挑戦しているということそのものが、
誰の批判も意見を挟む微塵の隙間もないほど、貴いことなのかもしれない。
1年前の自分は「ベース一本で世界一周をする」と豪語していたが、
世界一周をするための武器が、
ベースからビジネスに変わっただけで、
今の自分も、昔の自分も、同じ夢を追いかけているように感じる。
5年後、10年後の自分も、同じ夢の延長線上に立っていて欲しい。
表現の手段は変わっても、追い求めるものが違っていても、
今の自分ではまだ描くことができない夢を、地球規模の巨大なキャンパスの上に描いていたい。
20代のすべてを、この夢の実現に捧ぐ。
阪口ユウキ