この前ビールを飲んだのはいつだったろうと思い返してみると、
それはスマートCの初報酬が上がった12月7日のことで、以来今日に至るまで一滴のアルコールも接種していなかった。
クリスマスも、正月も、ずっと仕事をしていたし、曜日の感覚がないものだから、花金だからと浮かれることもなかった。
飲み交わすような友人も乏しいし、何よりそんな贅沢をする金銭的余裕はない。
では一人酒の趣味はあるかと聞かれれば、別段、飲まずとも大丈夫な体質だった。
本当に、自分で書いていて、呆れるほどのつまらない禁欲生活をしていた。
それが「禁欲生活」と感じなかったのは、ひとえに僕が、9月に大阪に移住してからこの半年間、まさに生死の境で這いつくばっていたからで、
「飲む」だとか「遊ぶ」だとか「贅沢する」だとか、そんな選択肢が入り込む余地が、微塵もなかったからに他ならない。
時折、感情や性欲や妄想を持て余すことはそれはまあ健全な男子だからあるのだけど、かといってそれを満たす余裕があるわけではなく、結果的に、禁欲的な生活にならざるを得なかったのだ。
それがどうして今日、何の記念日でも、なにかをやり遂げたのでもない2月26日の夜、
500mlの金麦を開けているのかというと、なんというか、
ここ西成で余裕で暮らせる生活費=月10万円というハードルを、コンスタンスに超えることができる脚力を、自分が手に入れてしまったことによる。
この場所にいる限り、しばらくは、自分は死ぬことはないだろう。
最低限度の生活が、自分の手で保障された今、正直、呆けてしまっているのである。
決して西成の居心地がいいわけではない。居心地的には最悪だ。
ここに住んでいる人種も、空気も、食べるものも。どこかみな、拭いがたい負の影を纏っている。
その隠しがたい負の影は確実に私の身体にも染みついている。
その、耐え難い臭気を自分から嗅ぎ出すとき、どうしようもなく、絶望的な気分になる。
ここは24歳の青年が暮らしていい場所ではない。いくら生活がしやすくとも、骨を埋めていい場所では決してなかった。だがいっぽうで、その最悪劣悪な環境でさえ、食っていけないのが半年前の僕だった。
1円を稼ぐ力もなく、その方法もわからず、ただ明日の飯の種に怯えておびえ続けた。
稼ぐ能力がない自分の力を呪い、こらえきれずに何度も路地裏に飛び込み泣いた、そんな押しつぶされそうな毎日が永遠に続くような気がしていた。
あれから半年が過ぎて、今、健康で文化的な最低限度の生活を営む力を得た。その、ようやく手に入れることができた安堵感に、なんだか呆けてしまったのだ。
今日のビールは、つまりは、そうゆう意味合いのビールである。
そうして、これまでの半年間を振り返って、自分は、自分が思っているよりもずっと、傷だらけで疲れ果てていることに気が付いた。
誰に愚痴を聞いてもらうこともできず、誰に寄り掛かることもできず、助けてくれる誰が現れてくれる一抹の保証もなく、ただただ毎日、
0円の文字が並ぶ管理画面を睨み付け、腹を空かせ、悪夢にうなされ、外を歩けば浮浪者にぶつかり、自分もまた彼らと同じ臭気を発散させている。
死神の手から逃げ回るように、ただひたすらに走り続けた半年間だった。
正直に告白しますと、なんの仕事をする気もしない、無気力な状態になっています。
インフルエンザ中からその傾向は顕著だったのですが、全快してからも、必要最低限のメンテナンス作業にあたるだけで、
あとはもう、筆舌に尽くしがたいぐーたらを極めており、それはもう自分でも目を覆いたいもので、100年の恋も一瞬で炭化すること間違いない、怠惰の権化とも呼ぶべき体たらくの堕落生活を営んでおります。
まああと数日もすれば、そのだらけている生活にも飽きて、また以前のような律儀で生真面目な仕事生活に戻ることは予想がついているのだけど。
自然にそうゆうふうに身体と心が向かうまでは、最低限の作業だけは行いつつ、思いっきりぐーたら生活に身を委ねてしまいたいと思います。
これが過ぎればまた数か月は休みなしでやると思いますんで、しばらくは充電期間ということで、ぐーたらさせていただきます。
阪口ユウキ