53日目:美しい風景にすら、貧乏人は触れることができないと知る

箱根駅伝ミュージアム(500)、小田原城(600)、駐車場(700)、ガソリン(2000)、水(125)=3925

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箱根駅伝ミュージアム

駐車場料金が悔やまれて悔やまれる。非常に悔やまれる。ただそれだけの感情に支配される一日の終わりがまた悔やしい。

箱根駅伝ミュージアムで流されていた過去駅伝の総集編に、思わず熱くなり長居をしてしまう。東京大手町から、東海道を西に向かい、この箱根峠で折り返す。コースの道程すら初めて知ったのである。車でさえ音を上げているこの峠を人間が征服していくという、この正月の楽しみがまたひとつ出来た。おそらく、箱根駅伝のコース8割方をすでに通り抜けたのではないだろうか。駅伝出身のオリンピック選手がメダルを獲得したことはないという。日本人初のメダリストが登場する小説を書けないか。

箱根彫刻の森美術館に立ち寄ろうとしたが、入場料1600円の他に駐車料500円を取るとのことでとうとう諦めた。小田原城では700円も取られてしまった。つくづく箱根は旅行者の足下を見ている。常に監視をされているような気分であった。

美術館や史跡や記念館に金を取るのは許そう。しかし湖や山や海という誰にでも開かれている筈の風景までを人質にとって集金するのは許せない。それは万人に開かれるべきだ。誰かが山を持ってきて谷川を切り開いて雲を配置して大洋に面したわけではなかろう。神奈川の海岸線は、とうとうどこも管理されていた。とても残念だ。卑屈である。

卑屈なのは貧乏な私であるかもしれない。もし私の後部座席が札束で埋まっていたら文句は言わないかもしれない。しかし、貧乏人から、大洋と海と里山を取り上げたなら、一体何が残ると言うのだろう。美しい風景すらも、貧乏人は触れることが許されないのか。それは絶対に間違った論理だ。

小田原から伊豆半島へ

小田原城ではカメラのバッテリーを忘れてしまう。見聞館にてボランティアスタッフのおばちゃんと親しく話す。箱根駅伝の話になると、急に地が沸騰したかのような喋り口調になる。やはり、この一帯の住民にとって駅伝は特別なものと知る。

小田原から国道135号線伊豆半島を南下する。伊豆スカイラインは2011年まで200円上限と後になって知る。

今日はあいにくの曇りで、灰色の海原と空とが霧のように解け合っているだけであったが、太平洋はやはり穏やかだ。

真鶴の海では青年たちがいっせいにサーフボードに乗っていた。12月の海にサーファーが泳いでいるのである。これは温暖といわずになんであろう。国道沿いに生える木々も、松になり、ヤシのような背の高いものになり、その温暖気分を確定づけた。

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