浅虫温泉の道の駅へ泊まる。
ガソリン満タン4000円。ダイソーで掃除用のホウキと洗濯バサミを買う。
車のトランクに腰掛けてぶらぶらやりながら飯を食う姿が珍しいのか、道行く人にたまに指をさされた。
午前中は棟方志功記念館へ行く。彫刻刀で力強く掘られた直線はCoolの一言!ドキュメンタリー映像が館内で放映されていたが、板すれすれまでに顔を近づけ、恐ろしいスピードで彫刻刀をふるい、作品を生み出していく様子は、制作活動というより挙動不審だった。この人から彫刻刀を取り上げたらただの奇人変人だろう。
思ったものが、そのまま指先に伝わり、生み出されていく。
「思う」ことと「やる」ことのあまりのギャップに戸惑うばかりである。
「思ってばかり」いた大学時代は、不思議とエネルギーに満ちあふれていた。
社会や体制や大人を片っ端から批判し、自分の夢が世界で一番高尚で素晴らしいと切実に信じていた。
夢を吹聴してまわりながら、自分は得意の絶頂にあった。まだ何も成し遂げてはいないのに、全ては自分の手中にあるような気がした。
思念の産物は、傷みや労苦を知らず、キラキラと真新しく輝いていた。赤ん坊のように無邪気で、汚れがなく、今思えば、とても脆いものだった。
夢は、麻薬のようである。
それは現実の感覚を麻痺させる。現実がいかに執拗に自分の身に迫ろうと、「自分には夢があるから大丈夫だ。きっと夢は叶って全てはうまくいく」と信じ込ませ、逃避させる作用がある。
母体に包まれているかのようなぬるまい安心感がそこにはある。感覚は次第にふやけて使い物にならなくなっていく。中途半端な気持ちで夢を抱いている人間は、多かれ早かれそうなる。
しかし、そのすべての言葉は一つ残らず叶うと本気で信じていたのである。その、情熱に嘘偽りは何一つなかった。私の言葉は純粋無垢だった。
「純粋無垢」の対局に「現実」を置こう。私は一度挫折した人間だ。現実社会で生計を立てながら夢に向かって努力をする、その生活は1年半と持たずに瓦解してしまった。
すべては弱い私に責がある。仕事も、友達も、全てを裏切って投げ出してしまったことの後悔は、一生残り続けるだろう。
生活というものは、ただ維持していくだけで、多くの努力を必要とする大変な事業なのだ。しかし当時の僕は、現状維持になんら価値観を見いだすことができなかった。僕は何かを目指していた。方向性のない向上心だけが不格好に発達していた。
食う寝る遊ぶ。生活の基礎を充実させないと旅は充実しない。
一つでも疎かにすると、途方もない空しさに襲われる。
中途半端な夢なら、持たない方がマシだ。
だがそれでも僕は何かを書き記そうとするし、楽器の練習をやめようとしない。そこに僕をつなぎ止めているものは一体なんなのだろう。
慣性の法則のようなものが働いて、まだ夢のレールの上を進んでいるのだろうか。やりたい、と意識するにはもう、あたりまえの習慣になってしまっているのだろうか。しかし、何かを本当にやり遂げようとするなら、それでは足りないのだ。
夢は、夢見ているだけで叶うものではない。それがこの5年間の結論だ。
現実と結びついた行為を積み重ねて行かないことには、夢は決して現実のものとはならないのだ。そんな当たり前のことに気がつくまで、5年もかかったのだ。こんな当たり前のことに!
そしていざ行為を始めてみると、これまでいかに自分を過大評価していたかを痛感した。自分というものは、哀れでみみっちい、不安におののく、頼りない小さな個体にすぎなかった。
僕は、こんな、ものだった。
もし僕がそのことに後悔しているなら、これから先なんとか取り返したいと本気で思うなら、苦労をしなくてはならない。努力をしなければならない。そして自分を成長させなくてはならない。まずはどんな形でもいいから、まずはこの旅のゴールまで辿り着くことから始めよう。
そして、文章と音楽に必死に喰らいつこう。どんなに下手くそでもいいから毎日継続するのだ。このまま終わりたくなんてない。
鬱になり、会社を辞め、自殺未遂をし、薬を飲み精神を溶かし、何も思うことのない布団の中に沈みこむ日々を経過して、あれほど蔑んでいた「思う」ということですら、立派な「行為」なのだと気がついた。
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