旅をしていると、生活の基礎を改めて実感する。
飯を何にするか、洗濯をどうするか、寝床をどこにするか、そこは安全だろうか危険だろうか、どこでトイレを済ませるか。
そうゆう生活欲求をひとつずつ満たして行くと、あっというまに一日が経ってしまう。陽の短い東北の秋ならなおさらだ。
日暮れは唐突に訪れる。夕方、快晴の今日、恐ろしいほどに空は透明に澄み渡り、太陽は燃え尽きるように山並みに沈んでいった。
瞬く間に夜が町を包んで、その黒さはこれまで見たことがないほど黒々と艶やかだった。漆黒、とはまさにこのこと。関東と東北では夜の色まで違うと知った。
津軽海峡を一望してきた。
先日泊まった金木のキャンプ場から、津軽半島を70キロ北上する。
竜飛岬を「たっぴみさき」と読むことを知らぬ私は、カーナビやgoogle mapに懸命に「りゅうびさき」「たつひさき」と入力し続けだいぶ時間を失った。
道中、十三湖へ立ち寄った時、長野から旅行にきている10人ほどの年配グループと仲良くなった。
長野のりんご、みかん、ぶどう、マスカットに缶ビールと何故かユンケルまでいただいて、写真を撮ってあげただけであるのに
こんなにまでしていただいて恐縮だった。日本一周のことを告げると、皆笑顔で、快活に応援してくれた。
「社会人になると、こんな風に色々見て回ることはできないからね」
社会人を中退した自分には複雑な気分だった。
津軽の海の色は、自分が知らぬ海の色だった。そして、ただならぬ雰囲気だった。
「海はひろいな大きいな」とのんきに歌える牧歌的な海原ではない。切り立った崖は荒々しく、飛沫立つ波は暴力的ですらあり、海原の藍色には恐ろしいほど深みがあった。
巨人が青色の絵の具をぶちまけて渾身の力で塗りたくった、そんな油絵の具の色彩だった。
津軽半島を海岸沿いに北上して、最北端の竜飛岬へ辿り着く。
北からの風が、強く吹き荒れて身体を揺らした。
北側には巨大な島が、雲に包まれるようにして浮かんでいた。標識を見ると、まさしくそれは北海道であった。間近に迫る北海道は、荒々しく、尊く、雄大だった。津軽の海に隔てられると、容易に踏み入れることを許されない、外国のように見えた。
青函トンネルを通した際、工事の過程で30人程死んだという。それほど厳しい仕事だった。
新しい道を通す、ということは、そこにある自然に挑むということなのだと知る。開拓者は偉大だ。一般道くらいと押せよ不便じゃねえか、と毒づいていたが許すことにする。
夜、青森駅で演奏する。
僕は中途半端だ。そして優柔不断だ。路上に経つのにパフォーマーになりきれていない。
自分が弾いているのに、同時に、傍観しているような気がする。僕は楽しませる側にいるのに、その実感が、薄い。
カウボーイハットを冠るおじさんに声をかけられる。演奏よりもずっと長い時間話し込む。演奏、といったって2曲しか持ち駒のない僕にとって、10分もすればもう手持ち無沙汰になってしまうのだ。
演奏、という名前をつけることすら恥ずかしい。恥ずかしい、と自分で思っているうちはいくら頑張ってもタカが知れている。
「お客がいなけりゃ仕事にならないからね」
カウボーイハットのおじさんが言う。その通りだ。僕がやってるのは仕事ではなく趣味だ。このままだとずっと趣味で終わってしまうような気がする。そうならないための旅ではなかったか。
どこへでも自由に移動できる自分の部屋、というのは便利だ。
外にいる、というのは無条件で素晴らしい。
「特定の場所に帰る」のではなく、「今いるところが帰る場所」というライフスタイルも新しい。
たった3日間で、生活の価値観がガラリと変わった。これまで一度たりとも家を欲しいなんて思ったことはないけれど、家代わりになるキャンピングカーなら買いたいし、そこでずっと生活してもいい。(彼女を部屋に連れ込む、というイベントが発生しなくなるのは残念だけど)
今回の旅は、「僕が何者になるか」ということを、本当に決定する旅なのだ。
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