29日目:彼らの救いはどこにあるのだろうか

友人に誘われた宗教団体の大会風景を眺めながら、欺瞞の匂いを嗅ぎ取った。

教義を実践したことでいかに生活が晴れ晴れとしたかを、誇らしげに信徒さんらは発表をしていた。

生活の苦しみや悩みを、教義が救った部分はもちろんあるのだろう。しかし、生活の一部分の救いをあたかも全存在が救われたかのように誇張して発表するその様子は、どこか虐げられているような印象も受けた。

僕が新興宗教を信じないのは、その信仰者たちが、まるで救われたように見えないことにある。

新興宗教において最も必要なものは、カリスマ的な教祖の必要性であると、どこかで読んだ。

創始者が執筆した本を読んだが、この人は本物だとすぐにわかった。「言葉こと真理そのもの」とし、真理のすべてを言葉で書き表し人々へ伝えようとした。その強烈な気概は殺気のように、一文一文に込められている。

自分は、小説家以外にはなるまい。それ以外の橋は、すべて焼き払おう。

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千葉での宿題まとめ

  • 音楽の調達(洋楽POP、ジャズ史、J-POP)
  • ブログの執筆(日記ではなく、記事として)
  • 食材の補給
  • 洋服の調達、毛布
  • 自転車の分解○
  • 体重を60キロに
  • 髪を刈る
  • 帽子を買う
  • twitterのfollowerを100人に
  • 地域/歴史の予習復習(ドライブルートの確認)
  • 車の寒さ対策
  • 社会問題のリストアップ
  • 津田沼で演奏を録画してYouTubeにアップ(30日に清水さんにお願いするか)
  • 生き物図鑑と野草図鑑
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