19日目:23歳をもう3年くらいやっている気持ちになる

走行距離:140キロ

野菜ジュース(105)、パン(135)、河北新聞(130)、昼食(200)、コーヒー(210)、お菓子(145)、ガソリン3000円

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明け方、車は東を向いていた。太平洋から生まれたばかりの太陽が、強烈に瞼を照らした。

朝靄に包まれた太陽の光は、真っ白に燃え上がっていた。霧から溢れ出した光が、真っすぐな線と鳴って空を翔る。

寝袋を引き寄せ、溜まった暖かみを抱きしめるようにまどろんだ。

次に眼を覚ました時、霧は晴れわたり、橙色の後光がまっすぐに大地に突き刺さっていた。

それも束の間。寒さに身を震わせながら洗濯を始めると、パラパラと冷たい雨が乳白色の天地から落ちてくる。

雨は次第に確信的となり、30分もすると、既に外に出るのが億劫になった。

朝飯を外で作る事を諦め、雨が一日止まないと知り、仙台に留まる事を諦めた。

気温は8℃。

空は乳白色の雲で覆われ、雲はカリカリに凍りついてガラス板のようになり、低く天を覆っていた。

一番近いコンビ二で野菜ジュースとパン、新聞を買う。河北新聞の一面は、星野楽天新監督就任を歓迎する、熱い記事だった。

背の低い町並と雲とに挟まれた窮屈な空間を、東南方向に走っていく。

群れを為して飛ぶ鳥が、雨に抗い飛んでいって、ガラスの向こうに消えていく。

暗くなるまでに、下れるところまで下ろうと思った。美術館や博物館を巡るのもやめた。

交通量の多い、ごたごたした仙台市内を走るのはごめんだった。

雨の日の車はなんだか得した気分になる

雨降りの日は気が楽だ。何かをしなくても、どこかに行かずとも、許される気がする。

「雨の日に車に乗っていると、なんだか得した気分にならない?外にいなくてよかったなって。ここにいれば、濡れる心配はしなくていいのよ」

Yが言った言葉を思い出す。彼女の車に乗って、銚子まで行こうとしていた。

運転は彼女がしていた。助手席でくだらない話題を提供するのが、僕の役目だった。

天候が急に不安定になり、濁流のような雨に、成田で捕まった。行き先を変更して、所在なくぐるぐると廻って、スターバックスで熱いコーヒーを飲んだのだった。

 

 

車の窓ガラスは容赦なく曇った。外界は雨で煙っていた。

後ろと横の状況がわからない運転がこれほど不便と知らなかった。都市部を走るならなおさらだ。

時折僕は窓を開け、吹き付ける雨風に耐えながら、車の内部と外部の温度差をなくそうと試みた。

曇りが取れる前に、僕の皮膚が悲鳴を上げた。寒い思いを何度もした割に、何にもならなかった。

国道4号線から国道6号線に乗り継ぎ、三陸街道沿いに、名取、亘理と下る。

相馬を通過する時、そこが福島県であることに気がついた。あっけないほどに宮城での数日間が終わった。

日本の道路は、どこを走ってもあまり代わり映えはしない。道路状況に差はあっても、両側に広がる景色はどれも灰色で、色味がなく、背が低く、卑屈な印象を受けた。今日が、雨降りだったからかもしれない。

家々はどれも似たような造りで、屋根の色も、高さも平坦だ。一般道を走っている限り、あっと驚く景色に巡り会う事は少ない。

空の色と雲の表情、そして太陽の存在感にはいつも驚かされた。仰天するのは、いつも自然的なものだ。

誰にでも開け放たれている自然の恩恵。ただ上を見上げるだけで充実する満足感。その恵みに救われた。

(宮城は路肩に菜の花が割いていた)

車内でビートルズを練習する

朝、車内でビートルズの「イエスタディ」を練習する。

もう、路上で弾けるだろう。自分の解釈で全編にわたりアレンジした、という楽曲はこれが初めてだ。

ジャズは、有名な曲であっても、受けがあまりよくない事に気がつく。歌のある、曲でないとダメだ。

MJのHuman Natureを覚える事にする。あるいはBilly Jeanを。Billy’s Bounceはハッキリ弾けばものになるだろう。あるいはソロをハーモニカで取るか。

東京にいる限り、車というのは煩雑でごたごたとして使い勝手が悪く、常に競争に巻き込まれて心休まる事がないただただ大変な乗り物だという風にしか思えず、そういったものを遊び道具として捉えることはできなかったのだ。

車がある実家は千葉の栄町にあるし、そこから大学のある池袋ないし一人暮らしをしていた成増へは2時間もかかるから、とても気軽に使えるものではなかったし。

ガソリンと時間さえあれば自由にどこでも行けるし、好きな音楽を流して大声で歌っても咎められないし、自分の部屋にいながらその部屋が自由に動き回っていろんな風景を見せてくれる、魔法の箱。これまで電車と夜行バスしか知らなかった僕にとって、この新しい玩具の発見は革命的だった。

23歳をもう3年くらいやっている気持ちになる

23歳をもう3年くらいやっている気持ちになる。

半年前までNGO職員で、鬱病で自殺未遂して仕事やめて寝たきりだったのに、今は日本一周して路上でベース弾いてて福島にいて、24の誕生日まで半年もある。混乱する。

普通はお目にかかれない最低と最高の両極端を体験して、なおかつこんな生活を社会に許されている。いつか絶対に恩返ししなければならない。

明日は昼過ぎから晴れるそうだ。いわきで弾くか。

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