14日目:県道41号線を抜けて、極楽浄土の浜を目指す

走行距離:143キロ

買ったもの:岩手日報(130)、野菜ジュース・牛乳(210)

6時半起床。寝袋2枚重ねてもまだ寒い。外気は冷たく、パリパリに乾燥している。喉と鼻をやられる。

出かけに、以前もらったユンケルを飲む。黄金の箱を開けると、さらにケースに包まれた30mlの小瓶。この仕様だけで効果があるような気がした。

目次

街道を往く

国道283号線で仙人峠を抜け、釜石へ。そこから国道45号線で三陸海岸を北上し、最東端の魹ヶ崎を目指す。

仙人峠を抜ける街道は、山を真二つに切り開き、高速道路のように整備された、快適な街道だった。

曲がりくねった山道、途中で神社や祠が散在する道を想定していたが、少し残念だった。

岩手の道は単純だ。北上高地が、三陸海岸の海岸線に沿って南北に走っている。

北の久慈から南の大船に抜ける、海岸線を走る国道45号線(浜街道)。盛岡を中心に南北に走る国道4号線(奥州街道)。

この二つの平行線を垂直に分断するようにして、北から野田街道、小本街道、宮古街道、釜石街道、盛街道が走っている。

単純化すると、梯子のような形になる。

三陸海岸では、海水を鉄製の塩釜で煮詰めて塩を採る直煮製塩が各地で行われていた。

古くから鉄を興し塩釜が安く手に入り、薪となる山林が海岸に近接していた。「塩の道」と呼ばれる野田街道をはじめ、多くの街道を通じて塩が運ばれていたそうだ。

県道41号線は修羅場であった

重茂半島を一周する県道41号線は、修羅場であった。

右眼下には太平洋の海原が確かに見える。逞しく天に伸び幾重もの枝葉で塞がれる視界の、その隙間はたしかにキラキラと輝いている。

しかし行く手には、車両がぎりぎり2台通行できるかできないかの狭い山道が、延々30キロ以上も続く。海に近いということが嘘のようである。

ガードレールは散在。溝が口を開け、雑草がそれを覆い距離感を失わせる。道路が無理に千切られたような崖が、生々しく稜線を描く。

ぐらんぐらんと上下左右に揺さぶられながら、風邪気味の身体はだるく熱を持って来るし、逃げようにも他に行く道はないし、

一度この県道41号線に踏み込んだら最後、国道4号線へ辿り着くまで2時間は地獄を見る事になる。

しかも肝心の魹ヶ崎へは、車で直接乗り入れる事ができないのだ。本州最東端の魹ヶ崎灯台へは、片道4キロの山道を延々上る必要がある。

そのことに山道の入口で気がつき、茫然自失、立ち尽くしてしまった。日本の最東端は、深い。

たまたまその日は2時まで灯台が解放され、自由に中を見物できたそうだ。しかし、風邪気味の身体に鞭を打って歩く気持ちはなかった。

極楽浄土の浜へ

国道4号線に合流して、ともかく浄土ヶ浜だけでもと車を走らせる。

浄土ヶ浜。一度聞いたら忘れられない名前だ。

約300年前の江戸時代、宮古山常安寺の7代目住職の霊鏡和尚がこの地を訪れた。

その風景を「さながら極楽浄土の如し」と感嘆したことから、「浄土ヶ浜」と名前がつけられた。

紺青にたゆたう水面に、白い流紋岩からできた岩が頭をのぞかせている。岩の天辺には松が生えて緑に染まっている。

浜辺も、岩肌と同じく真っ白だ。その浜と海原を、人懐っこいウミネコが自由自在に舞い踊り、眼を楽しませてくれる。

この浜の石は、驚く程大きく逞しかった。ひとつ掴むと、手のひらが塞がってしまう。

これは流紋岩が波の浸食を受けて打ち上げられたもので、周辺に土砂を運んで来る川がないため、汚れる事なく清浄な白い浜が保たれているそうだ。

のどかな風景だが、何か寂しく感じた。こんな寂しい浄土になら、俺は行きたくないなと思った。

5時前に道の駅@たろうに着く。

Wimaxが繋がらないのはいつものことであるが、携帯までも圏外とは驚いた。

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