12日目:宮沢賢治童話村へ

走行距離:135キロ
食事:カップ麺(180)、岩手日報(130)、野菜ジュース(105)、宮沢賢治
購入したもの:チャップリン自伝(210)

宮沢賢治童話村へ。広大な敷地に、ひとつの展示ごとにログハウスがひとつ建つという贅沢。

愛あればこその趣向。「イーハトーブ」の呼び名は永遠に語り継がれるだろう。それがすごい。ひとりの詩人が、その地域のあり方・価値観を決定づけた。花巻周辺は、賢治の言葉によって守られている。

縄文時代の土偶を見た。土偶は女性の象徴であるというが、あれほど不気味な姿形に女性を形容できるものではない。

あれは宇宙人のような気がする。男、女の他に、あの時代にはきっと別の生命体がいて、みんな仲良く共存していたのではないか。

その頃人間は、動物の本能に従って、食べるため、子孫を残し種を保存するため、それだけに生きていた。僕も、それだけを考えて、生き死にすることはできないのか。最近は、それでもよいと思っている。

タッチの①~⑥巻分を読む。サンクチュアリ①~⑩巻分を読む。僕は生きている人間ではない。そうであった時期もあった、しかしそれも忘れてしまった。

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卵と雑炊の素を買う。ひと手間かかるが、水を含むだけあって、腹は存分にふくれた。

卵は割れるかどうか心配であったが、実際に手に取ってみると、ケースは頑丈で、少しくらいの衝撃は耐えそうだった。これでまたしばらくは食を楽しむ事ができる。

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2日に1回くらい路上に立たないと、危機意識がなくなり、一日中ぽやっとしていけない。

なんだかもう、普通に働いて暮らしたい。そこそこかわいい奥さんをもらえれば、それで満足を感じるのではないだろうか。

旅の向こう側には常に文章があり、小説があった。

「文を紡ぎ、音を奏で、旅をする」それが僕の生涯のテーマではなかったか。

自問自答ばかりで嫌気がさす。しかも、いつだって釈然としない。

誰の同情もひけやしない。同情してほしいのか?まさか!清廉潔白に、この場所は、俺が選択した道だ。疑う余地もない。しかるべくして、しかるべき時に、地に堕ちた。

得意顔で世界中を批判し尽くしていたあの頃が懐かしい。一体何に対して優越を誇っていたというのか!

細切れの過去を繋ぎ合わせてほくそ笑むような醜態はごめんだ。過去に比重があるときは決まって調子の悪いときだ。

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夜が来ると落ち着く。その日はもう、どこへも行く必要がないから。

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