【卒業生No.114】崩れた人生を取り戻すために。翔平さんが184,140円を達成、実践会を卒業しました。

卒業生No.114,翔平さんからの卒業メッセージをシェアします。

過去最長となる【25,347文字】に及ぶメッセージ。翔平さんのこれまでの半生を語っていただきました。

翔平さんはアフィリエイト歴1年で卒業していますが、これまで闘い続けてきた10年の、最後の1年だったから結果が出たのだろうなと感じました。

長さを全く感じさせない、ドラマを観ているようなメッセージでした。ぜひお読み下さい。

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翔平さんからの卒業メッセージ

簡単な自己紹介

実践会の皆さんこんにちは。

この度、2021年3月に実践会を卒業した翔平と申します。

先輩後輩友人からは「しょーへー、へーさん、へーちゃん、へいへい、へー」と呼ばれていました。

なぜか高校のころは「ディオ」と呼ばれていました。ジョジョのディオではなく、原付のDioです。(高校にコダマが2人いたので、紛らわしいということになってたまたま乗っていた原付から命名されました。ちなみにもう片方は身長が大きかったのでおーだまです。めっちゃ雑ですね。)

神奈川県横浜生まれ、横浜育ちの生粋の浜っ子です。青い服着たやつらだいたい友だちです。

もちろん、好きな球団は「横浜DeNAベイスターズ」です。

「僕等がいた」より「君に届け」派の清純派です。

座右の銘はスヌーピーの名言

「You play with the cards you’re dealt …whatever that means. 」(訳:配られたカードで勝負するしかないのさ…..それがどういう意味であれ。)

今年30歳になる29歳です。

昔は「おっさん」と弄られても「まぁ、若いしな」と何も気にしなかったのですが、最近は身体の不調とともにおっさんであることを自覚し始めています。

(勉強会で女性が書いている体の記事を阪口さんにお見せしたら「おっさんがよく使いがちなおっさん顔文字が使われている」と指摘されたとき「あぁ、俺はおっさんなんだ…」と深く染み込んだことを覚えていますw)

これまでの経歴はあまり自慢できるものではなく、大学を

1浪
1休学
2留
中退

そしてフリーターへ…(DQ3風)

というなかなかひどい経歴をもっています。
その後、未経験からエンジニア業界に入るのですが、それも1年で退社しているというなかなか物事が続かない男です。

旅行が好きなのかどうかわかりませんが、海外では

東南アジア
東アフリカ

に一人旅に行ったことがあります。

あとは国内もちょこちょこと旅行しています。

では、アウトドアかというとそうでもなく、そういうこと以外は基本的に室内に籠っていたいタイプで、漫画喫茶に最長72時間以上滞在したことがあるというかなり両極端な性格を持っています。

実践会に入ったきっかけ

自分のこれまでの半生

実践会に入るきっかけを紹介する前に、少し自分の半生について語らせてください。

実践会にはいろいろと思いを抱えて入会しており、切っても切り離せない関係なのでここで書くことをお許しください。

また、これまでの自分にけじめをつける意味も込めて、書いていきたいと思います。

たらればになりますが、恐らく僕はこのことがなかったら、パワートラベラーを知ることなく、実践会に関わることなく、普通のサラリーマンとして生涯を終えていたと思います。

そして、それで充分、満足な生活を送っていたのだと思います。それで充分、幸せを感じていたのだと思います。

実践会には直接関係なく、非常にネガティブでお見苦しい文面があると思います。

なので、作業中に意識したことや気づいたことは後半に書いてありますので、ご興味がない方やそういうのが苦手な方はお読み飛ばしください。

【これまでの自分の半生】

2011年4月:一浪し、猛勉強の末、希望通りの大学に入学

2011年4月~:大学生として充実した生活を送る

2011年9月15日:人生で初めての彼女ができ、人生の幸せの絶頂

2011年9月17日:父親が事故に車に轢かれる→ICUに入る。一命は取り留めるも意識は戻らず。人生のどん底の始まり。

2011年10月~:父方の母が亡くなる。父不在で葬式に出席。

2011年11月~:父の意識は戻るも脳に障害を負う。もう以前の自分の知っている父ではなくなる。

2011年12月~:一家の大黒柱が崩れたことで家庭の環境はぐちゃぐちゃになり始める。自分も精神的におかしくなり始める。

2011年12月~:加害者が謝罪に来る。その時に着てきた服は作業着。ブチ切れて殴ろうとするも「今後の裁判に関わるから」と伯父に制止させられる。父をこんな目に合わせた張本人が目の前にいるのに一発も殴れない自分が悔しくて涙が出てくる。

2012年1月~:ろくに大学にも行かなくなる。酒癖も極端に悪くなる。

2012年4月~:実家にいても実家にいない感覚に陥る。もう以前の家庭には2度と戻ることはないんだなと悟る。

2012年~:父親の片足切断。寝たきり状態。人口膀胱で一人でトイレにも行けない状態。10秒前の記憶が保てない。自分も精神の限界がおとずれはじめる。薬を飲み始める。

2013年~:酒浸りの毎日。何かを忘れたくて毎日記憶がなくなるまで飲み続ける。のほほんと過ごしている周りが羨ましく、そして憎くて仕方がなくなる。

2014年~:何かを求めてBARに通い始める。

2014年4月~:通っていたバーのマスターにバックパックを勧められ、初海外初一人旅で3ヵ月かけてアジア7カ国を周遊する

2014年8月~:バックパックでかなり精神的に楽になったので趣味となり色々なところに旅行やヒッチハイクをするようになる

2015年1月~精神の安定を求めてヴィパッサナー瞑想の修行のために千葉の山奥で2週間ほど籠る

2015年8月~:アフリカに一人旅をする

2016年~:父を轢いた加害者が結婚して子供までいることが判明する。LINEのTOP画が家族の写真で幸せそうだった。頭がおかしくなりそうになる

2016年12月~:大学を2留するも、結局行くことが出来ず中退する。色んな場所に行っても色々な人に話を聞いても変わることのできない自分に嫌気がさす。

2017年1月~:フリーター生活。何かしたいと思っても思いつかず行動もできず堕落した生活。

2017年5月~:就職しなければという思いに駆られ就職活動をし、ITエンジニア業界に入る

2018年6月:このままでいいのかというモヤモヤした思いを抱えたままサラリーマン生活を送る。その時に阪口さんの本に出合い、生きざまに感動を覚え、この人のようになりたいと会社を辞めることを決意。

2018年9月:会社を退社。

2018年10月:決意し、思い切って会社を辞めたはいいものの何もする気が起きず、貯金を切り崩しながらニート生活に突入。自分の意思の弱さに辟易する。

2020年3月:一度もPCを開くことなく1年半が経過する。いい加減やらねば一生自分は変わることはできないと実践会に入会

2021年3月:実践会卒業。

現在~

2011年9月17日:僕の人生が変わった日

2011年9月17日

この日のことをこの10年間、一日たりとも忘れたことがないです。

そしてこれからも忘れることはないでしょう。

この日は父親が車に轢かれた日でした。

ちょうど2日前に付き合った女性と初めてのデートの日で、前日に女性の家に泊まっていました。

朝6時ごろ、母からメールが来ました。

「お父さんが車に轢かれました」

最初は轢かれたとしても骨折くらいだろうと、そこまでの心配はしていませんでした。

しかし、またメールが来て

「お父さんがICUに入るそうです。」

ICUなんて言葉はドラマ以外で人生で初めて聞いたので、これはただ事じゃないと思い、その日はデートを中止にし、親父が運ばれた病院に行くことになりました。

その時、当時の彼女は病院までついてきてくれたのですが、病院の手前まで送ってくれました。

横浜市立大学附属市民総合医療センターの手前の横断歩道。

「また連絡してね」と心配そうに言ってくれた当時の彼女のこと。

今でも鮮明に覚えています。

あの横断歩道を渡った瞬間、僕の人生が大きく変わったのだと思います。

崩壊する家族

父はICUに入りましたが、なんとか一命を取り留めました。

しかし、かなり重傷らしく、いつ目覚めるかもわからないとのこと。

数えきれないほどケガの名前を言われました。

とにかく全身がぐちゃぐちゃだったそうです。

しかし、術後2~3ヶ月後、父は無事に目を覚ましてくれました。

その連絡を受けたとき、本当に安心しました。

ただ、後遺症がひどく、全身もボロボロで脳にも障害を負っていました。

片足切断
寝たきり状態
人口膀胱で一人でトイレにも行けない
10秒前の記憶が保てない
ちゃんと考えることができない
まともに喋ることもできない

父はこんな状態でした。

そこにはいたのはまぎれもない自分を育ててくれた父親です。

しかし、知っている父ではなかった。

僕は3人姉弟だったのですが、父は僕のことを一番可愛がってくれたと母は言います。

野球の練習に付き合ってくれた父
色々なところに連れていってくれた父
俺を叱ってくれた父
「お母さんには内緒だからな」とタバコをくれた父

そんな親父はそこにはいなかった。弱い僕はそれを受け入れることができなかった。

そんな父の容体だったので、家族も目覚めたからと言って安堵できるものではなく、雰囲気は悪化する一方でした。

兄はもともと精神に病を患っていたのですが、父親がそれを抑えていた節もありました。

その父がいなくなったことでそのタカがはずれ日に日に悪化していくようでした。

部屋で一人で発狂することもしばしばありました。

大黒柱である父がいなくなったことで、どんどんと家族が壊れていく様を目の前で感じていました。

実家にいるのに実家にいない感覚。

「あぁ、二度と以前の家庭には戻ることはないんだな」

そんなことをある時、悟りました

そして、そんな中、父方の祖母も亡くなりました。

自分の母親の葬式にも出られないのかと。

家族は全員、限界を迎えていたと思います。

おかしくなっていく心

実は僕は中学校のころにいじめを受けて、不登校になっていました。

高校の頃はそれなりの生活を送っていたのですが、いじめの影響もあって心には陰りがありました。

それでも希望の大学に入学し、サークルも入り、仲の良い友達もできて、人生で初めての彼女もできて幸せの絶頂でした。

俺の人生はやっとこれから拓けるんだ。

そんなことを思った2日後に父親は事故に遭いました。

その時こう思いました。

「あぁ、俺は幸せになっちゃいけない人間なんだな」

と。

そして、このころから酒癖も悪くなっていきました。

大学の話
サークルの話
恋愛の話

そんな普通に話している友達が羨ましく、そしてだんだんと憎くなっていきました。

なんで俺だけが、こんな悩まないといけないんだ?

俺だって普通の話がしたかった

こんな風に思って荒れる毎日を送っていました。

友人はたくさん励ましてくれました。

ただ、当時の俺にはその言葉が耳に入ってこなかったのです。

「お前の親父も同じ目に合わせてやろうか?そしたら俺の気持ちがわかるからよ」

酔ってこんなことを言ってしまったことがあります。

ただの八つ当たりです。弱い自分は行き場のない怒りや悲しみをどうすることもできなかった。

本当に最低です。今でも後悔しています。

友人に迷惑ばかりをかけて、非常に申し訳なく思っています。

酒浸りの毎日

当時の彼女は僕のことを本当に支えてくれたと思います。

しかし、彼女は社会人1年目でした。

本当は僕の方が彼女を支えなければならないのに、僕は彼女に甘えてばかりで情けないところしか見せることができませんでした。

その時の自分は縋るものが彼女しかいなかった。

弱い自分はその状況を変えてやろうとか、強くなろうとかは思えなかったのです。

そんなある時、彼女に「もうやっていけない」と別れを告げられました。

当たり前です。むしろ、ここまで自分を支えてくれたことを感謝しています。

そして、彼女の貴重な時間を無駄にしてしまったことを今でも悔いています。

縋るものがなくなってからの僕は、辛い現実から逃れるために、忘れるために酒を浴びるように毎日飲んでいました。

朝まで、そして記憶をなくすまで、

怒り
憎しみ
悲しみ
そして泣き

一体、親父はなにか悪いことをしたのか?
朝の日課である愛犬の散歩をさせてただけだぞ?

汗水垂らして働いて、3人姉弟全員大学に通わせて、俺が大学を卒業すれば第二の人生が待っているはずだったんだぞ?

なのにこの仕打ちはなんだ?

なにか悪いことをしたのか?

俺の親父の人生は一体何だったんだ?

なぁ、誰か教えてくれよ。

酒を飲みながら、こんな独り言を言っては、頭の中でも反すうしていました。

そして、起きて二日酔いのなか、散らばった自分の吐しゃ物を片付け、この現実は夢ではないと打ちひしがれ、そして夜にまた酒を飲み始める。

こんな毎日を送っていました。

薬も飲んでいましたが、全く効く様子はなく、このころにはとっくに心が壊れてたんだと思います。

バーのマスターに半ば強制的にバックパックへ行かされる

そんな中、なにかを求めてバーに通うようになりました。

バーにはいろいろな人がいるというイメージがあったので、そこに行けばなにか答えが見つかるんじゃないかと。

確かにそこにはいろいろな人生を歩んできた人がいて、話を聞いてるだけでも刺激になったり、勉強になったりすることばかりでした。

また、そこにいた人たちに自分の身の上話を聞いてもらうだけでも、気が軽くなったように感じます。

何も知らない人だからこそ、喋れることってあるんだなぁと。

中でもそこのマスターは世界一周経験者でした。

その人の話を聞いているとバックパックが凄く面白そうで、だんだんと「俺もやってみたい」と思うように。

でもその頃の自分は一人旅はおろか、海外にすら一度も行ったことがない身でした。

ましてや飛行機も人生で2度しか乗ったことがありません。

「一度も海外行ったことないからなぁ」とウジウジしていると、あるときマスターが

「児玉、今からパスポートとクレジットカードもってこい」

と唐突に言われ、困惑しながらも持ってくることに(以前、海外旅行に行く予定はしていたのでパスポートだけは持っていました。結局色々あって中止になりましたが)

訳も分からずマスターにパスポートとカード、そしてスマホを手渡すと、色々操作している様子。

しばらくしてマスターが一言

「今、タイ行きの片道チケット取ったから。」

あまりの突然のことに呆然としていると

「大丈夫。大丈夫。タイなら初心者でもなんとかなるから行ってこい」

チケットの日付を見ると、2週間後でした。

ビックリして

「マジすかー!俺海外行ったことないっすよー!大丈夫すかねー!」

と若干嫌がっている素振りをしましたが、心の中ではそこまでの抵抗はありませんでした。

というのも当時、僕は死にたくて死にたくてしょうがなかったんです。

ただ、自殺という決断も怖くてできなかったですし、その選択をしたらきっと家族も悲しむだろうと。

かといって今を生きる覚悟もありませんでした。すごく中途半端に毎日を生きていたんですね。

「誰か俺を殺して、楽にしてくれ。」

と心の奥底では思っていました。

だからマスターからその話を聞いたとき

「治安の悪い場所なら、きっと誰かしら俺を刺して殺してくれるんじゃないか」

そんなことを思って、2週間後のためにいろいろと準備をすることができました。

僕の初めての一人旅は決してポジティブなものではなく、死に場所を探す旅のようなものでした。

精神の安定を求め、さまざまなことをしてみる

ただ、いざ、バックパックに行ってみると全く違うものでした。

本当に楽しかったんです。

目に見えるものすべてが新鮮で、世界はこんなに広かったのかと。

「あぁ、俺は今を生きているんだな」

そんなことを実感する旅でした。そして辛い現実を忘れられた毎日でした。

結局、気づいてみたら3ヶ月間、東南アジア7カ国を周っていました。

バックパック中は本当にいろいろなことがありましたが、ここで話すとかなり長くなるので割愛します。

ちなみにFacebookの現在(2021/04/08時点)のトップ画はパスポートと東南アジアを周っている最中の写真です。

(国境を跨ぐたびに止められたり、そのときたまたま行動を共にしていたイギリス人に「イッツ クレイジーディファレント!!」と言われたのはいい思い出です)

そんなバックパックを経験して、僕は心の安定を求めてさまざまなことをするようになりました。

何か変わることができるんじゃないかと、もがいてみたんです。

アフリカに行ってみて、大地の力を感じてみたり、

山奥に2週間ほど籠ってヴィパッサナー瞑想という修行をしてみたり

京都までヒッチハイクをしてみたり
どこかに自分が変われる道が見つかるんじゃないかと、ひたすらに、彷徨うように。

結局、何も変わることができず就職

そんな、だんだんと心も穏やかになっていったあるとき、姉から一通のラインが来ました。

「私はこの人のことを許せない」

姉は父の事故のあと、加害者と事後処理のため、やりとりをしていたのですがLINEのTOP画像が家族とのプリクラだったそうです。

実際に見せてもらいました。幸せそうでした。

加害者の懲役は2年間でした。

一人の人生を奪っておいて
一つの家族の幸せを奪っておいて
たった2年で出所して
家族まで作って
それを無神経にもトップ画像にして

加害者は一度、僕ら家族のもとへ謝罪しにきたことがあります。その時の姿は工事現場の作業着でした。

僕はその対応に切れて、殴ろうとしました。しかし、叔父に「今後の裁判に関わるから」と制止されました。

父親をこんな目に合わせた人を一発も殴れない自分の不甲斐なさと悔しさで涙が出ました。

そのときの記憶がふつふつとよみがえってきます。

ブチ〇してやりたい

人に対して明確にそんな気持ちを抱いたのは初めてでした。

ただ、そんなことはできませんし、もちろんしてもいけません。

このやり場のない怒りをどこにもぶつけることができず、自分の心はまたおかしくなっていきました。

そして、その時、気づいたんです。

自分は何一つ変わっちゃいない。

バックパックやそういう色々なことをするのは楽しかった。

全てを忘れられる気がして、何でもできる気がして解放された気分になった。

でも、その時だけなんです。

日本に帰れば、家に帰れば、辛い現実が待っているし、弱い自分のままなんです。

それ自体がやりたいからやっているのではなくて、辛い現実を逃れるための手段として使っていただけなんです。

結局、自分には生きていく力がないから、自信がないから、精神的に未熟なままでいつも感情が不安定になってしまう。

僕はそういう弱さを克服することができず、大学に通い直すという気力も出ずに、中退することになりました。

ただ、フリーターになったところで何か変わるわけでもありません。どうしていくべきかもわかっていませんでした。

だから流されるままに就職という形を取ることにしました。

阪口さんの本に出合い、生きる指標を見つける

そんな気持ちを抱え、就職し1年。

「一生、このままなのかな」

と胸に何かつっかえた感情をずっと抱いていたところ、阪口さんの記事を発見しました。

「あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。」

だったと思います(どうやって見つけたかは覚えていません)。

その記事を読んで、阪口さんに興味を抱き、本を買って読んでみました。

皆さんもご存じだと思いますが

「うつ病で半年間寝たきりだった僕が、PC一台で世界を自由に飛び回るようになった話」

という本です。この本を読み終わったとき

この人のようになりたい

と素直に思いました。

今まで「凄いな」「かっこいいな」「憧れるな」と思う人は何人もいました。

なにかおとぎ話のような感覚で、どこか遠い世界の話だと思っていたんです。

ただ、阪口さんの本の中で書いてある

葛藤
悩み
後悔

全てが僕の心に突き刺さったんです。

この人のように自立、そして自律して生きる力を持ちたい
地に足をついて歩めるような自分になりたい

と心の底から思ったのは初めてだったんです。

詳しく調べてみると

僕と同じ大学(11年度入学なんで入れ替わりだと思います)
同じ横浜出身(本にそう書いてあったと思います)

そして僕の人生が大きく変わった2011年9月。

それは奇しくも阪口さんが自分の人生をこの手で変えようと、あいりん地区に足を踏み入れたときでもありました。

こじつけかもしれませんが、僕はこの共通点に何かを感じずにはいられませんでした。

阪口さんの本を2018年6月に読んだのですが、7月には会社に退社する旨を伝え、9月には退社していました。

だから皆さんとは実践会に入った理由は少し違うと思います。

・アフィリエイトで稼ぎたい
・自由な働き方・生き方をしたい

この時の僕は「アフィリエイト」という言葉さえ知りませんでした。

どんな仕組みかとかどんなビジネスかとかは正直、どうでもよかったんです。

多分、阪口さんが違うビジネスをしていたらそっちをしていたと思います。

自由な働き方をしたいとか、生き方をしたいとか、それは思ったことはありますが、たぶん人間だれしも、そのようなことを一度は考えると思います。

なので人並み程度に思うだけであって、絶対にこういう働き方や生き方がしたいとは思っていませんでした。

そもそも組織で働くこと自体は好きってほどではないですが、別に苦でもありませんでした(基本的に指示待ち人間なので)。

僕が実践会に入った理由はたった一つ。

阪口さんのようになりたい

これだけでした。

一度もPCを開くことなく1年半ニートに

勢いで退社したもは良いものの僕はこの10年間で、なにかやり遂げたり、なにかやりきる力というものが欠落していたんですね。

退社して解放された瞬間に「今度でいいや」と思ってしまいとずるずると、なにもしなかったんです。

結局、失業保険とこれまでの貯金で1年半ニート生活を送ってしまうことになります。

退社してからの1年半、一度もPCを開くことはありませんでした。

こういうところは「本当、俺だなぁ」と。非常にかっこ悪いと自分でも思います。

じゃあ、この1年半何してたのかというとひたすら謎に筋トレしてました。

筋トレって科学的にも証明されているんですが、凄く心の健康にもいいんです。

気づいたらいつの間にか、ベンチプレス100kg上げられるようになっていました。

その時間をアフィリエイトに向けろって話なんですけどね。

そして1年半が経過し、貯金が10万円を切ったところで「このままじゃやばい」と思い、阪口さんにメールを送り、2020年3月に実践会に入会することになります。

もし、あのとき実践会がなくなっていたらと思うと今でもゾッとしますw

もちろん、貯金もなくなっていたので、生活費は今流行りのウーバーさんで自転車をキコキコしながら賄うことにしました。

自由な時間に働けるウーバーさんには今でも感謝しております。もう2度と自転車には乗りませんが。

卒業に至るまでの経緯

皆さんどのような報酬推移で達成したか、気になると思いますので(僕は結構気になってました)ここで自分のサイト状況と報酬推移を紹介します。

<達成時のサイト状況>

記事数:300記事強
PV数:4000弱

<報酬推移>

1ヶ月目(2020/3)
0円
2ヶ月目(2020/4)
0円
3ヶ月目(2020/5)
0円
4ヶ月目(2020/6)
0円
5ヶ月目(2020/7)
0円
6ヶ月目(2020/8)
0円
7ヶ月目(2020/9)
0円
8ヶ月目(2020/10)
23,430円
9ヶ月目(2020/11)
0円
10ヶ月目(2020/12)
35,200円
11ヶ月目(2021/1)
70,400円
12ヶ月目(2021/2)
47,190円
13ヶ月目(2021/3)
184,140円

アフィリエイト開始~苦痛の1ヶ月目

アフィリエイト開始した当初は、まぁPCに触るのが嫌で嫌で仕方なかったです。

前職はエンジニアだったのでPC好きそうに思われるかもしれませんが、本当に興味なかったです。

なんでそんなやつがエンジニアになったかというと

「エンジニアって響きかっこよくね?マトリックスでしょ?」
「ワイスピのテズになりてーわー!」

こんくらいの動機です。

もともとPCも1~2年くらいに1回触る程度で、用途としてはiPhoneのバックアップのためだけでした。

エンジニアになってから好きになったかというとそうでもなく、仕事以外でPCを開いたことはありませんでした。

なんせ、退職してから1年半PCを開かない男ですから。

だからサイト作成なんてもってのほかでした。唯一、今のサイト以外で作ったサイト?といえば、中学か高校のころ流行った前略プロフくらいです(わかる人にはわかる)。

だからまずはPCに触るところから慣れる。

僕のアフィリエイト生活はそういうスタートでした。

アフィリエイト2ヶ月~絶望を知る5ヶ月目

PCに触ることに慣れはじめはしてきたのですが、ここで大きな問題が一つ。

皆さんも抱えていると思います。

そう、記事が全く書けない。

ビックリするくらい書けないんですね。

僕が取り組んでいるジャンルは僕が1度だけ経験したことがあるくらいで、本当に無知だったんですよ。

だから知識がほぼゼロの状態で書かなければならなかったので、まずインプットから始めなきゃならない。

インプットする知識も小難しいことばかり書いてあるんで、まぁ楽しくないったらありゃしない。

そんなことだから、1記事書くのに5~6時間くらい(しかも文字数2000~4000)くらいはかかってたと思います。

日報見たら、4ヶ月目に100記事達成しているんで、単純計算で1日1記事も書けているかどうかくらいですね。

そして、5ヶ月目に満を持して100記事以上限定の少人数勉強会に出ます。

100記事書いたぜドヤァって顔でパソコンの前で待ってた気がします。

そこで、また絶望の淵に落とされるんですね。

そこに参加していらしたメンバーさんは

既に2~3年程度サイトを運営されていて
記事も何百記事もある
そして記事クオリティもめちゃくちゃいい
サイトもめちゃくちゃ見やすくてきれい

そんな方々ばかりでした。

正直レベルの違いに萎縮して、100記事ドヤ顔はどこ吹く風でZoomの隅でビクビクしながら小さくなっていました。

「お?新入りかコラァッ!ヒヨッコが調子乗ってんじゃねぇぞオラァッ!」

脳内ではこんな感じになっていました(実際はめちゃめちゃ優しかったです)。

ただ、そんなサイトクオリティでも卒業水準に至っていなかったので

このサイトクオリティで卒業できないなんて…俺だったらあと5年…?10年…?一生無理…?これ以上のサイトなんて作れない…。

と正直、鬼のように落ち込んだのを覚えています。

そのときの日報ではこんなことを書いてありました。

=============================
今日は初めて勉強会に参加しました。

めちゃくちゃ人と話すのが久しぶりで声の出し方を忘れました笑

凄い有意義で自分のやる事が明確化できてよかったです。

反対にアフィリエイターの先輩たちがすごく出来の良いサイトで

しかも何百記事と書いているのに水準に達していないことに

驚きと不安が隠せませんでした。

あんなにいいサイトなのに確定報酬がそこまで貰えないなんて

自分は果たして卒業できるのだろうかと・・・。

まぁそういう不安は置いといて、とりあえずは来月の勉強会にも

参加できるように邁進していきたいと思います。

・・・勉強会ってどのくらいのペースで参加するといいんだろう・・・。

=============================

この日報、7月20日に書かれているんですね。

それで次の日報が7月29日でした。

そう、このショックで9日間寝込んだんですw

まさに「かゆい…うま…」(…日記はここで終わっている…)状態です。

本当、自分の豆腐メンタルには困ってしまいます。今は笑い話ですが、当時はマジでシャレにならないくらい凹みました。

アフィリエイト6ヶ月~実感の湧かない初報酬の8ヶ月目

そんな凹みながら、せこせこと地道にサイト作成をしていた7ヶ月目に人生初めての発生が出ました。

正直言うと、最初の発生はまっっったく実感わかなかったです。

管理画面を覗いたときに、「1件」という文字が合ったんですが、一番最初に頭の中に浮かんだのは「え、なんで?」でした。

自分の雑なつくりのサイトで発生するとは全く思ってなかったので、意味が分かりませんでした。

そして20~30分くらい少し頭の中グルグルしたあと、、、

「発生って都市伝説かと思ってたけど、本当にあったんだ…!(ラピュタ風)」くらいの感覚でした。

歓びというより驚きの方が大きかったですね。

本当に喜びをかみしめられたのは3件目くらいでした。

アフィリエイトプロ9ヶ月目~プロ意識が芽生え始める12ヶ月目

サイト作成9ヶ月~10ヶ月目くらいから、外注というものを駆使するようになりました。

上でも言いましたが、僕は扱っているジャンルに対してずぶの素人だったんですね。

なので書くのは遅いわ、2次~3次情報しかないわで、記事クオリティも相当低かったんです。

そんなときに阪口さんが外注に関する動画の中で

「その記事は誰が書くべきか?」

という問があったんです。

そのときに自問自答した結果、この記事は僕が書くべきではないという結論に至りました。

そこから本格的に外注を始めました。

外注を始めるにあたって実践会のマニュアルを鬼のように舐めまわしました。

骨の髄までしゃぶりつくした自負はありますw

その理由は

・ライターさんに的確な指示ができるようになるため
・オリジナルの記事執筆マニュアルを作成するため

です。

<ライターさんに的確な指示ができるようになるため>

これは外注するにあたってライターさんに指示を出さなければなりません。

ライターさんは基本、クライアントの指示に沿って作業を行います。

色々な質問やどこがいけないのか、どこをどうした方がいいのかと的確な指示を出さなければ思うようには動いてくれません。

ライターさんの質問に対して「ちょっとわかりません」では話になりません。

そういう色々な対応をスピーディにこなすためにも、実践会マニュアルをひたすらに読み込みまくりました。

オリジナルの記事執筆マニュアルを作成するため

外注するにあたって僕にとっての一番の問題はお金でした。

貯金10万を切ったところからスタートだったので、ほとんど軍資金はありませんでした。

それをどうにかしてカバーするために、めちゃくちゃ安い単価でライターさんを集めました(具体的な金額は控えますが、激安です)。

そうなると集まってくるライターさんは

・ライター始めたての初心者さんか
・一度も記事を執筆したことがないライター志望の人

です。

そういった人たちに何のマニュアルもなく、執筆依頼するとまぁとんでもない文章が上がってきます(初心者の方なのでしょうがないのですが)。

そこをイチから修正していったら外注の意味がありません。

そうならないためにも一回で理想的な記事が上がってくるように、1カ月間かけて記事執筆マニュアルを作りこみました。

僕はここで「オリジナル」と書いていますが、実践会マニュアルをコピペするのではなく、自分の中で要約し、かみ砕き、自分の言葉で1から作成しました。

めちゃくちゃ手間ですが、このおかげで僕のサイト作成の技術と理解は加速度的に上がったと思います。

人に教えるのが一番の上達のコツとはよく言ったもので、

・ライターに指示を与える
・人に理解してもらえるような記事執筆マニュアルを作成する

この2つは「教える」こととほぼ同義で、1ヶ月間という膨大な時間を費やしてしまいましたが、実践会マニュアルは僕の血となり肉となった気がします。

ちなみに僕はライターに執筆指示や修正指示をするときは「なぜ」を必ず記載するようにしていました(ライターさんも理解して、作業したほうがスムーズですし、今後の役に立つと思ったからです。なにより自分自身の理解も深まりました)。

内情を理解して見ると、初心者が初心者に教えるという地獄絵図が完成するわけですが、

こういった仕事を依頼するというクライアントとしてのプロ意識がアフィリエイターとしてのプロ意識につながったと思います。

ただ、この時期が一番身体に悪いルーティンを送っていた気がします(PCが置いてあるテーブルの目の前のソファで寝落ちして起きたらそのまま作業するという)。

アフィリエイト13ヶ月目~発生は爆発だ!~

そして来たる2021年3月。

そのときは突如として訪れます。

3月初日に2件の発生が出ました。

そのときは「お!調子ええな!」くらいにしか思ってたなかったのですが、次の日も発生が出ました。

そしてその次の日も、その次の日も…

1日2~3件も当たり前のように発生が出ました。

そして10日の時点で発生25万を越しました。

正直この時は計測エラーを疑いまくりました。

なんか喜びを超えて、困惑です。この時の気持ちをポルナレフ風に話すと、

「あ…ありのまま今月起こった事を話すぜ!俺のサイトは先月の発生が15万だったが、今月10日の時点で25万を超えていた…。

な…何を言っているのかわからねーと思うが、俺も何が起こったのかわからなかった…。

頭がどうにかなりそうだった…。CTRだとかPVだとかそんなチャチなもんじゃあ断じてねえ。よく阪口さんから聞いていた、急に報酬が爆発するっていうアフィリエイトの片鱗を味わったぜ…」

そんなこんなで毎日のように発生が続き、20日の時点で50万弱まで発生が出ました。

この時点で「これは…もしかしたら…」という期待に変わりつつありました。

そして、そんなことを思った瞬間、完全に頭が切り替わって、

「だ…駄目だ…まだ笑うな…こらえるんだ…し…しかし…」と完全に夜神月みたいな顔を毎日してました(まだ笑うなで検索すると出てきます)。

そう、発生がいくらあったからといって確定しなければ意味はなく、特に僕が扱っている広告はそこまで承認率が高いものではなかったので、否認されれば全て水の泡です。

ここまで期待させといて、もし卒業できなかったら確実に心がぽっきり折れます。

そうならないようにも慎重に慎重にと心に保険をめちゃくちゃかけてました。

そして3月末に少人数勉強会に出席したのですが、そのことを阪口さんに相談したら

「児玉さんはもう卒業ですね!」

僕の理性を吹っ飛ばすには十分な言葉でした。その時は平静を装ってましたが、心の中では雄たけびを上げていました。

最終的に発生が67万円まで爆発して、あとは承認を待つばかりとなりました。

ただ、結構、承認が持ち越しになることが多いので、3月中は無理だろうなと思っていました。

しかし、そこは気になってしまうのが人の性。3月最終日に管理画面を何度もチラ見しては落ち込むという不毛な作業を繰り返してました。

そして3月も残り6時間を切った夜6時ごろ、「さすがに今月は無理かな…」と諦めかけていたその時。

管理画面には燦然たる「承認」という文字の羅列が…。

頭の中でざっと計算し、「あれ?これ18万超えてね?」と思ったとき、思考が停止。その後

動悸
息切れ
めまい
吐き気

体の震え

と色々な感情が体の中を駆け巡りパニック状態に。

メンバーの皆さん、もし18万円が確定するかもと思ったら救心を買っておきましょう。体中がおかしくなります。

本当に合っているかどうか確認するために電卓を用意して数字を打ち込みますが、手がプルプルと震え、何度も打ち間違えます。

深呼吸をして、何度も計算し、18万を超えたことを確信したとき、すぐさま阪口さんにメッセンジャーで報告しました。

その報告の様子は実践会通信に載っているのでご存知だとは思います。

阪口さんからは「おめでとう」と。

そのとき

「あぁ、信じてきてよかった…間違ってなかった…こんな俺でもできるんだ」

と。安堵と歓喜で心と体の中は満たされていました。

作業中に意識をしたこと・気づいたこと・大切だと思ったこと

ここからはPCを触ることすら嫌だった自分がPC1台で18万円を稼ぐために、

意識したこと、気づいたこと、そして大切だと思ったことを紹介していきたいと思います。

とりあえず、こんな自分でも何か一つでもメンバーさんのヒントになればと思い、いろいろと列挙してみました。

あとは、この時の初心を忘れないように、自分自身の忘備録のために。

・ダメな自分を受け入れてあげる
・意志力に頼らない
・たまには休憩やご褒美を
・自分の生活リズムをつかむ
・考えるのをやめない
・自分の全てを注ぎ込む
・仮説を立てる癖をつける
・外注することで初めて客観視ができた
・知る→実践する→理解する
・答えは内ではなく外にある
・日報は成長を確認できる場所
・ひとつのマニュアルを信じ続ける
・おまけ:成約に結び付ける文章力をつけるために

<ダメな自分を受け入れてあげる>

まずはここからのスタートでした。

もともと自分は本当に怠け者でなにをやっても上手くいかない人間でした。

そして

「あぁ、なんて自分はダメなんだ…」
「もっと有能だったらな…」

と思うことはよくありました。

それはアフィリエイトをしている最中でもよく起きていました。

例えば

  • 阪口さんのあいりん地区にいた時代の圧倒的作業量と自分を比較して落ち込む
  • 卒業生の一日20記事以上書いていたという事実を知り落ち込む
  • 卒業生の1500記事を書きあげたという卒業メッセージを見て自分は全くできてないと責める

などなど豆腐メンタリストKodaMaはまぁことあるごとに周りと比較しては凹んでました。

ただ、自分を責めたところで何も変わることはありません。

むしろやる気を失うだけです(中には奮起する人もいると思いますが、僕はそういうタイプではありませんでした。できればそっち側の人間に回りたい!)。

僕は一人暮らしで周りには励ましてくれる人や勇気づけてくれる人が全くいませんでした。

自分を許してあげれるのは自分しかいませんでした。

だからまずは、今の自分を認め、許し、受け入れ、

そしてそこからなにができるかを考えていました。

今の自分はダメでも一歩一歩進んでいけば、少しづつでもきっと成長できる。

そんな思いを抱きながら作業に取り組んでいました。

<意志力に頼らない>

1年半ニートをやっていたという事実でもわかる通り、僕には意志力というものが欠如していたんですね。

「さぁ、やるぞ!」と意気込んでみたはいいものの、その10分後にはタバコスパーッ。

「阪口さんは人の10倍以上やっていた?!俺だってやったらぁ!」、、、1日PCすら起動せず。

「よし!10分休憩したら再開するぞ!」、…zzz…ハッ、気づいたら3時間経過。

こんなことは日常茶飯事でした。僕の意志や決意というものは10~15分くらいするともろくも崩れ去ります。

なので、僕は意志力というものに一切頼らないことにしました。

意志力ではなく、なぜできないのかを分析し、そしてそうならないための対策に重点をおきました。

例えばアフィリエイト始めたてのときは、これでもかというほど作業を細分化し、取り組むハードルを低くしました。

  • 電源をつけてみる
  • PCのロック解除の番号を入れてみる
  • chromeをダブルクリックする

など目標を設定し、それができたらチェックというようにまずは心理的ハードルをできるだけ低くし、まずは習慣化する努力をしました。

あとはキッチンタイマーなどを使って休憩時間を20分と設定し、音が鳴ったら作業再開するなど。

人間不思議なもので、それになれてくると「ピピピッ」という音が鳴ると頭が完全に休憩モードから作業モードに切り替わります。

どうしても作業をしたくないときは5・4・3・2・1と声に出して、0と言った瞬間に作業を開始するなど。

意外と声に出してカウントダウンすると、さっと作業に移ることができます。

僕はこういう対策をするときに参考にしたものがあり、

「メンタリストDaigoの心理分析してみた!」というニコニコ動画のチャンネルです。

これはメンタリストDaigoさんが先延ばし対策や、集中力持続の仕方などを科学的な根拠に基づいて、いろいろと解説してくれているので非常に重宝しました。

僕はこのチャンネルを参考に、自分がやれそうなものを試し、ブラッシュアップし、自分に落とし込んでいきました。

月額550円と有料ですが、550円以上の価値は余裕であると思います。

もし、「集中力が続かない」「どうしてもだらけてしまう」などの人がいましたら参考にしてみてもいいと思います。

<たまには休憩やご褒美を>

アフィリエイトというものは阪口さんも仰っていたように、すぐに結果が出るものではありません。

それでもひたすら

記事を執筆し、
UPし、
リライトし、

と作業を続けなければなりません。

結果が出ない間は

「本当にこの作業に意味はあるのだろうか」
「一体どれだけやれば、成果が出るのだろうか」

と疑心暗鬼になることもあると思います。

たしかに実践会マニュアル通りにやっていればいつか必ず結果は出ます。

しかし、やっている当人からすればその経験や確信がないので、「不毛な作業」と思ってしまうのも仕方ないと思います。

僕自身「おいおい、これ穴を掘っては埋めるっていう罪人がやらされていた中世の拷問かよw」って思ってましたから。

だからたまには自分へのご褒美や休憩を与えてもいいと思うんです。

例えば僕だったら作業を頑張ったご褒美として

・おいしいものを食べに行く
・思いっきりだらける
・映画を見る

などをしてました(レパートリーが少なくてごめんなさい)。

自分にとってご褒美となるものだったらなんでもいいと思います。

そうしているうちにいつか結果が出てきます。

そうなるとその結果が作業への対価となり、作業をするのもあまり苦ではなくなってきます(それでもたまにはご褒美は欲しいですけどね)。

<自分の生活リズムをつかむ>

人の生活リズムはほとんどは遺伝子で決まるそうです。

朝型・夜型と言いますが、それのことです。

最近の研究では「クロノタイプ」といい、人は4種類の生活リズムによって

ベストパフォーマンスが出しやすい時間
想像力が働きやすい時間
コーヒーを飲むべき時間

などがあるそうです。
(参考:https://kashikoi.with.is/articles/274)

自分の遺伝子は努力でどうにかなるものではないので、僕は自分のタイプを判断して、無理に生活リズムを変えずに大体それに沿って生活していました。

感覚程度ですが、結構調子は良かったかなーとは思います。

参考までに。

<考えるのをやめない>

僕は阪口さんや他の卒業生のように「圧倒的作業量」というものを、生み出すことがどうしてもできませんでした。

僕は集中力がびっくりするくらいないんですね。

その代わり考えることを辞めませんでした。

風呂に入っている間
買い物に行っている間

いついかなるときも、

「どうしたらアクセスは伸びるのか」
「どうすればもっと成果を伸ばすことができるだろうか」

と考え続け、思いついたアイディアをメモし、そして実践していました。

自分の全てを注ぎ込む

自分は能力がない分、自分の全てをアフィリエイトに注ぎ込みました。

LINE
Twitter
Facebook
インスタグラム
テレビ

外部と繋がる全てのものを断ち切ってきました。

正確にはTwitterは日報投稿用に、Facebookは実践会のためだけに作り直したのですが。

ただ、これまでの友人・知人と繋がるものは一切排除しました。

この一年で実践会の人以外と喋った人は

ファミマの店員さん
業務スーパーの店員さん
まいばすけっと(スーパー)の店員さん
マンションの管理人さん
ウーバーイーツのお客さん

喋った言葉は

「どーもーウーバーでーす」
「駐輪場借りたいんですけど許可証ってもらえますか?」
「161番ください(タバコの番号)」
「ありがとうございます(軽く会釈)」
「大きい袋の方でお願いします。」
「あ、小さいので大丈夫ですよ」
「お箸つけてもらってもいいですか」

以上です。もう言葉の発し方を忘れました。

そしてある記事でマークザッカーバーグやスティーブ・ジョブズが毎日、同じ服しか着ない理由をこんな風に話していました。

「服や食事を選ぶときにも、決断力というものが使われる。そういったエネルギーを服などに使いたくない。僕はその全てをビジネスに注ぎ込みたいんだ」

うろ覚えではありますが、こんな感じで言っていました。

だから僕も

・毎日3食同じものしか食べない
・服は寝間着

こんな感じでアフィリエイト以外に使うエネルギーを極力抑えていました。

特に毎日3食同じものしか食べないのは本当にきつかったですね笑

僕は毎日、寝る前に白米と鶏肉と乾燥シイタケを炊飯器にぶち込んで、めんつゆ入れて炊き込みご飯にして、翌日それを朝昼晩食してっていう生活をずっとしてました。

上で言ったご褒美でたまには外食をしていましたが。

ただ、そうすることで自炊に使う時間や献立を考える時間が削れて、アフィリエイトに捧げる時間は増えたと思います。

こんな感じでアフィリエイト以外は全く気を使うことなく生きてたので、正直、実践会のシェア会や少人数勉強会がリアルで行われていたら行ってなかったかもしれません。

眉毛はボーボー、髪は坊主の伸びかけ、ムダ毛も一切処理せずで本当に人さまの前に出れる格好ではなかったので(そこはオンラインに切り替わったタイミングで良かったと思っています)。

<仮説を立てる癖をつける>

僕は何かをする際や、阪口さんに質問をするときは極力、自分の考えや仮説を立てていました。

阪口さんもよく仰っていますが、アフィリエイトにはPDCAが必須だと思います。

Pの段階で仮説を立てるという力はどうしても必要だと思います。

その立てた仮説を実行、検証し、合っているかを確認する。

間違っていたら訂正し、再度仮説を立てて検証する。

こういったトライ&エラーの繰り返しだと思います。
そういった仮説を立てる力をつけるためにも、阪口さんに質問や疑問を丸投げするのではなく、

それに対する自分の考えをまず話し、阪口さんに答えを聞いていました。

また、もしできるものであれば、先にプロトタイプなどを作り、阪口さんからGoサインが出たら一気にやり始めるなどもしてました。

あとは阪口さんに答えを聞く前にやってたりとかもしてました。

Skype質問会は1週間に1回なので、その待っている時間がもったいないと思い、事後報告的な感じでどうですかね?と。

意外とやっているうちに解決してくれる問題もあるので。

<外注することで初めて客観視ができた>

上でも言ったのですが、僕はサイト作成に外注も駆使していました。

外注して気づかされたことは

記事を客観視できるようになった

ということです。

ライターさんから上がってきた記事を見て、指示修正していくと、自分の記事でもついついやってしまっていたことが多々浮き彫りになってきました。

人にアドバイスをすることで改めて

自分の記事の読みにくい点
おかしな記事構成

がわかってきました。

あとは

なにがいけないのか
どこをどうしてほしいのか

をきちんと言語化することによって、自分が求めている記事は一体どういうものなのかもわかってきました。

皆さんもそうだと思いますが、僕は記事を参考にするとき、上位表示されている記事をよく見てたんですよね。

ただ、上位表示されている記事というのはもうすでにある程度、というかかなり完成された記事なので、ぶっちゃけなにがいいのかがわからないこともありました。

そこでライターさんの完成されていない記事を見ることによって、

「だから上位表示されている記事はこんなにも読みやすいのか」

「こういう構成で話を進めているから上位表示されているのかな」

と良い文章と悪い文章の違いがよく分かってきた気がします。

外注する費用がない方も4000~5000円あれば、4~5記事くらいは発注することができると思います。

その4~5記事だけでもどこをどうしたらいいのかと考えるだけでも、上位表示されている記事や読みやすい文章との違いが分かってくると思います。

プロのライターさんだとかなり読みやすい文章が出来上がってしまうので、初心者ライターさんに執筆してもらうとなかなかワイルドな文章が上がってきますよ。

※これはあくまで発展途上である僕の個人的な考えです!

<知る→実践する→理解する>

アフィリエイトを始めたての僕にはマニュアルを見てもわからないことばかりでした。

僕は性格上、

「やるからには完璧に理解して、完璧に実行しなければならない」

こんな強迫観念を抱えていました。これはアフィリエイトに限らずどんなことでもそんな感じでした。

ただマニュアルを完璧に理解することはアフィリエイト初心者にとっては到底無理な話です。

理解しようしていたらいつまでも、実行に移すことができませんでした。

だから僕はわからないなりにも、とにかく手を動かしてマニュアルを実践してみました。

そうすると、「なにがわからないのか、わからない状態」から「~~がわからない」という状態になっていきました。

そして「~~」の部分をSkype質問会や少人数勉強会で聞くことによって解決していくことができました。

そうしていくうちに「あぁ、阪口さんが言っていたことはこういうことだったんだな」と腑に落ちる瞬間が来ました。

僕はこの経験から

マニュアルを読んで、ただ知っていること

マニュアルを理解していること

は明らかに違うと感じました。

本当の理解はとにかく手を動かし、実践したその先にあるのだと。

(こんな偉そうなこと言っていますが、恥ずかしながら、まだまだ僕も理解していない部分がたくさんあります。これからももっと精進していきたいです)

アフィリエイトサイトの良い点は

「初めのうちはだれ一人、自分のサイトを見てない」

というところにあると思います。

だから僕は「どうせ誰も見てやしない」と開き直って中途半端でもいいから、サイト作成を進めていきました。

<答えは内ではなく外にある>

これは上で言ったことと通ずることでもあるのですが、そのサイトの価値や成約を決めるのは自分ではなく、Googleであり、ユーザーです。

自分の中で

「これでいいのかな」

と迷っていつまでも、内に秘めていたらその答えを見つけることはできないと思います。

だから、とりあえず外に出してみる、そうすると答えが返って来ると思います(ときには非常に残酷な答えも)。

その答えに擦り合わせるように、再度修正し、また出してみる。

そうやってどんどん答えに近づけていくのがアフィリエイトだと思います。

ただ、Google先生やユーザーというのは結構、天邪鬼なところでもあるので明確な答えを返してくれないことままあります(何度「俺を弄びやがって…!」と思ったことか)。

そんなときに頼りになるのが大先生である阪口御大です。

  • アフィリエイト界の巨匠
  • 浪速のアフィリエイター
  • アフィリエイト界のゴールドロジャー(「俺のSEO技術か?欲しけりゃくれてやる。探せぇっ!アフィリエイトのすべてを実践会マニュアルに置いてきた!」男達は、自由な働き方を目指し、夢を追い続ける。世はまさに、大パワートラベラー時代!…ありったけの夢を~以下略)

と数々の異名を持つ阪口さん(※全て僕の妄想です)はこれまでの10年以上の経験と数々のアフィリエイトサイトを見てきた経験から的確な答えを出してくれます。

あとは、これは推測というか、予測というかなんですが、これから皆さんアフィリエイト以外のビジネスを展開していく方もいると思います。

そうなると、阪口さんでは答えられない専門外の部分も出てくると思います。

そのときのために、外に答えを求める癖というのはつけておくのが必要なんじゃないかなとも思いました。

(これは人生に通ずる点なのかなと思ったり、思わなかったり…。)

<日報は成長を確認できる場所>

僕は日報用のブログを作ってほぼ毎日、

その日行った作業
明日やること
感じたこと
悩んだこと
疑問

などを記録していました。

そして時々、数か月前の日報を遡ってみると

「お前、こんなこともわからなかったのかよ」

「こんな悩みは今となっては笑い話だな」

と昔は全くわからなかったことや自分にとって重い悩みなどが、当たり前のように解決していたり、できるようになっている自分に気がつきます。

そして、それを自信に変えることができました。

「自分は少しずつでも成長している、今こうして悩んでいることやわからないことはきっと数ヶ月後~1年後くらいにはちっぽけなことになっているんだろうな」

と。

日報は日々の作業ややることを明確にするとともに、自分の成長を確認できる場所でもあるんだなと感じました。

<ひとつのマニュアルを信じ続ける>

僕はアフィリエイトサイト作成に関しては、阪口さん以外のマニュアルや教材を一度も見たことがありません。

セミナーや講座にも一度も出たことがありません。

阪口さんのマニュアルだけをひたすら信じ抜き、実践していきました。

僕は実践会に入る前に「なにかこれを大事にしていこう」とアフィリエイトの軸というものを考えました。

そのとき、ふと出てきたのが

「守破離」

という言葉でした。

特にこれまでの人生で好きな言葉とか、こだわっていたとかではないのですが、急にふと出てきました。

ただ、すごくしっくりくる言葉だったので僕はこの軸を大切にしようと思い、紙に書いて、壁に張り出して常にその精神を忘れないようにしました。(後にコンテンツで守破離という言葉が出てきたので、ちょっと感動しました)

独り言で作業しながら「守っ!守っ!」と、ブツブツつぶやいてた気持ち悪い時期もありました。

卒業生の方の多くが言っているように実践会マニュアルには、アフィリエイトで収益をあげるための全てが詰まっていると思います。

実際に、諸先輩方は僕も含めマニュアルだけで結果を出しています。

確かにアフィリエイトは結果が出るまで長く、そして辛い時期を過ごさなければなりません。

そういう状況が続くと、疑ってしまうことはあると思います。

ただ、阪口さんもコンテンツの中で仰っていたように「人にお金を貰うということは社会に価値を与える」ことだと思います。

ましてや個人事業主というのはたった一人の、個人の力で社会に価値を与えていかなければならないと思います。

会社の看板や、組織の力はありません。

それは並大抵のことではないと思います。

なので、辛く、苦しい状況が続いても
たった一人のことを信じ続ける

そういう時期があってもいいんじゃないかなと僕は思います。

<おまけ:成約に結び付ける文章力をつけるために>

僕のサイトは卒業水準達成時、PV3700程度でした。

PV3700で発生が67万円までいったので、成約している方なのかなぁとは思います(ある記事では10人に1人くらいのペースで成約してくれました)。

そこで成約させる文章を作成する際に役に立った本を紹介しておきます。

「影響力の武器~なぜ、人は動かされるのか~」

これは簡単に要約すると、人を動かすには6つの心理的トリガーがあって、それを科学的根拠に基づいて詳しく説明してくれている本です。
僕はこの本を5周は読みました。

ただ、この本はかなり分厚いので今まで読書習慣がなかった人にはかなり読むのがきついと思います。

実際に僕もほとんど読書するという習慣がなかったの(伊坂幸太郎は読みます!)で、そこで自分が行っていたことを紹介します。

それは読むのではなく、オーディオブックで聞くことです。

読書というと結構構えてしまうのですが、オーディオブックだと音楽を聴く感覚で読める?ので意外と進みます。

たしか3000円くらいで買えたはずです。

聞く際にもコツがあり、それは

覚えようとしないこと

です。矛盾しているようですが、覚えようとして聴くと、聞き逃してしまったり、理解できない部分を何度も聞こうとしてしまいます。

そうすると、一向に進まないので、最終的に読む気がうせてきます。

なのでとりあえず、1回で覚えようとするのではなく、何周もすることを目標にしていました。

僕はどれだけ聞き逃しても、理解できなくても巻き戻して聞き直すということは一切しませんでした。

ボーっとしている間や、休憩中に聞き流しているくらいの感覚です。

そうしていくと、人間不思議なもので、特に覚えようしなくても、勝手に頭が覚えてくれているんですね。

3週目あたりくらいから、「この冒頭文だと、この話がはじまるな」と予測しながら読むことが可能になってきます。

何周もするとなるとかなり時間がかかりそうと思われるかもしれませんが、オーディオブックは倍速再生できるので耳が慣れてくれば2倍、3倍と読むスピードを速めることができます。

4倍速まで到達できれば、1日20分聞くだけで、だいたい12~13日間くらいで1周できます。

そうなると、頭の中に心理的トリガーが入っているので、文章を作成する際に「ここはこんな心理的トリガーが使えそうだな」と自然と入れることができるようになってきます。

メンバーさんへのメッセージ

僕はコロナが流行ってきたと同時に実践会に入会したので、メンバーさんとは直接お会いしたことがありません。

ただ、少人数勉強会などのオンライン上ではちょこちょこと顔を合わせておりました。

僕は毎月お通夜みたいな顔で参加しており、それを見た阪口さんやメンバーさんがかなり励ましてくれたので、その節は本当にお世話になりました。

また、皆さんの頑張りが僕の励みにもなりました。本当にありがとうございます。

そして卒業を目指しているメンバーさんへ

なかなか収益が伸びず、辛く苦しい状況が続いていると思います。

ただ、自分を責めるのはやめてあげてください。

アフィリエイトに必要な力は

現状を冷静に分析し、対策を考え、たんたんとそれをこなすこと

だと思います。

自分を責めるだけでも大きな力を消費します。

その力を少しでもそちらに向けてみてください。

自分を責めていることや、結果が出なくてなにもしたくないと思っている自分に気づいたら、

深呼吸をし、呼吸に意識を向け、目を瞑ったまま5分ほど過ごしてみてください。

少しは楽になってくると思います。

偉そうなことを言っていますが、自分でもできていないことはあります。

ただ、こういうことを繰り返しているうちに、目の前のやるべきことをやれるようになってくると思います。

その積み重ねが成果へ一歩一歩近づく道になるはずです。

これから入会するか迷っている皆さんへ

自由な働き方や生き方を求め、ここに来てくださっている人が多いと思います。

ここでしっかりと学び、ちゃんと実践すれば必ず自由な働き方や生き方を手に入れることができます。

アフィリエイトどころかPCさえも触ることが嫌だった僕でさえも、PC1台である程度の収入を得ることができたのですから。

ただ、やっていると必ず壁にぶち当たります。そこで継続できるかどうかが鍵になってきます。

僕はかなり特殊な方だとは思いますが、今まで卒業するまでに「つらい」「苦しい」と何百回と思ってきましたが、

「やめたい」とは一度たりとも思いませんでした。

PC1台で、個人の力でお金を稼ぐというのはある程度の覚悟が必要になってきます。

自由な働き方、生き方を求める理由は人それぞれだと思います。

もし、あなたの現状が幸せなら、その幸せを大切にしてあげてください。

アフィリエイトをするにあたって、何かを犠牲にしなければならないことは必ず出てきます。

僕はその犠牲のために、今の幸せを壊すようなことはあってはならないと思います。

それでもあなたが「諦めきれない何か」を持っているなら、実践会の門をくぐってみてください。

阪口さんは優しく、その思いを実現するためにサポートをしてくれるはずです。

実践会のメンバーの皆さんも皆優しい人ばかりなので、きっと応援してくれます。

僕も機会があれば、できる限りお手伝いしてあげたいと思っています。

今後の目標やライフスタイル

僕が実践会に入会した理由は

阪口さんのようになりたい

それ一心でひたすらサイト作成を続けてきました。

ただ、僕が阪口さんになることはできません。

性格も全然違うと思いますし(文章を見ての通り阪口さんのような柔和な文章が書けませんw)、何より僕は阪口さんではありません。

阪口さんには阪口さんしかなれません。

ただ、やっぱり阪口さんの

生き方
生き様
考え方

などに僕は共感して実践会に入会したので、どんな形になるかはわかりませんが、少しでもそれを広めることができればなぁと。

パワートラベラー学部コダマ学科的な?
阪口ユウキインスパイア的な?

人はどんなに弱くても生きていける力を持てるんだと。
どんなに弱くても地に足をついて力強い一歩が踏み出せるんだと。

阪口さんの言葉が僕の心を動かしたように

いつか僕の発信するものが誰かの心を動かせるように。

ただ、それをしていくには自分自身がしっかりと一人前にならなければいけません。

まだ僕はやっとつま先立ちになったくらいです。

そしてまだまだ僕は「守」の段階です。まだ学ぶべきことがたくさんあります。

ただ、いつか阪口さんの型を「破」り、そして最後には「離」れ、自分自身の生き方を確立していければいいなと思っています。

僕は今、「阪東橋」という街に住んでいます。

阪東橋は父が運ばれた病院「横浜市立大学附属市民総合医療センター」がある街です。

実践会に入ろうと決意したとき、

「この街で始めよう」

そう思いました。

僕の時間はこの街、あの瞬間からずっと止まっていたような気がします。

これからも現実は変わらないし、苦しむこともあると思います。

乗り越えられるかというと、正直わからない部分もあります。

今まで、何百、何千回と「あの日に戻りたい」と願い、祈ったかわかりません。

これから、もし、1000万、2000万と稼ぐことができるようになっても、

もし、あの日に戻れることができるなら、僕は迷わず戻ります。

ただ、阪口さんに出会えたことで、人はどん底からでも這い上がれることを知れた。

ただ、実践会を卒業できたことで、ほんの少しだけでも、道を切り拓ける力はついた気がします。

僕の人生が変わった2011年から10年。長い長い10年でした。

やっと、この街から、新たな一歩が踏み出せそうな気がしています。

非常に長く、そしてお見苦しい文を最後まで読んでくださりありがとうございます。

最後に、

阪口さん、改めてこんな僕を最後まで面倒見てくださって、本当にありがとうございました。

そして、僕に勇気をくださり、ありがとうございます。

これからもお世話になることは、ものすごく、めちゃくちゃ、鬼のように、余裕であると思いますが、よろしくお願いいたします!
児玉

******

こうした背景がありながら、翔平さんは卒業するまで、僕にも、勉強会で顔を合わせるメンバーにも、一切話すことがありませんでした。

色んな想いと葛藤を胸に秘め、背負い、これまで闘い続けてきたことをこのメッセージで知り、胸が熱くなりました。

お父さんが事故に遭われた過去も、それによって崩壊した青春時代も変えることはできませんが、

「翔平さんがこれからどう生きていくか、という未来」

は、どうにでも自分で決めることができます。

未来はどうにでも変えられるというのが、この1年の頑張りで、実感できたはずです。これからの10年間は、これまでの10年間とは全く違ったものになりますね。

翔平さんは、僕とはまた違う言葉の強さがありますし、色んな人に良い影響を与えられる人だと思います。

翔平さんだからこそできる仕事を創り、想いを伝え、人生をたのしみ、新しい世界にどんどん飛び込み、未来を描き、それを自分の手で創り上げていってほしいと思っています。

翔平さん、卒業おめでとう。コロナが落ち着き、リアルで、一緒に飲み交わせる日をたのしみにしています!

翔平さんのブログはこちら→ https://studiokdm.blog/

*結果が出るまでの日報が、平さんの言葉で語られているので、ぜひご覧ください。

https://powertraveler.jp/shohei_message/ https://powertraveler.jp/life-is-adventure/
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