- 食費(860)
- 駐車場(290)
- 昔話村・博物館(620)
- 伝承園(310)新聞(130)
- 野菜ジュース(105)
ちょっと観光しようと張り切ると、出費出費出費が嵩み、頭が痛くなるなあ。
けれど、この土地まで来てどこの美術館にも入らない選択肢は惨めだし、だとすると削れるのは食費しかないが、体重は出発から10日で4キロも減り、現在56キロになってしまっている。55キロの体重峠は、超してはならない。
遠野は、柳田國男の『遠野物語』のもととなった町だ。
河童や座敷童子で有名な遠野民話で全国的に知られている。
遠野は、北上高地の中南部に位置するため、四方を山々に囲まれている。国道396号線・遠野街道が、山々を切り開いて遠野に伸びていた。
朝、道の駅みやもりからの道中で、車の屋根に日干ししていたジーンズに気が付かず、そのまま風に吹き飛ばしてしまった。
気がついたときにはもう遅かった。ジーンズは遠野街道のどこかに飛んでなくなった。
バックミラー越しに事故が起こらなかったのがせめてもの救い。今後は白いジーンズひとつでやっていしかない。あるものでなんとかしていく。
「とおの昔話村」の敷地内には、遠野昔話資料館、物語蔵、旧柳田國男隠居所、柳翁宿の4つの建物が並んでいる。
どれも、時代のついた、堂々たる木造建築。柳翁宿は、遠野町内にあった旧高善旅館を移築したもので、明治、対象、昭和にわたり、遠野を代表する旅籠屋として知られている。
この二階の客室で、柳田國男や折口信夫、ネフスキーなどの民俗学者が宿泊した。遠野は、内陸と海岸を結ぶ交通の要所として栄えたそうで、城下町の賑わいはたいそうなものだったらしい。
カッパ淵の川の水は、底が容易に見透かせるほど澄み切っていた。
木々に日光が遮られて、陰湿な印象をあたえるが、すくって飲めばきっとうまいだろう。
河童が不気味なイメージがあるから、その川もまた、不気味に淀んでいるイメージがあったが、よく考えてみれば、彼らも川に生きる生き物だ。水は生命線だ。美しい河川にしか住みたがらないだろう。
河童の目撃情報を伝承園に持って行くと、有力な情報には景品が与えられるという事だった。
それにしても、木彫りの不細工な河童像は、一体なんだったのだろう。上からむぎゅと潰されようなひしゃげた顔に、ふてくされたような、それでいて妙に愛嬌のある瞳。一方胴体はのっぺりと長く、ぶくぶくと太っている。かわいいといえないこともないが、奇妙なたたずまいには笑うしかない。
川辺のコスモスの花が奇麗に咲いていた。
近くに「姨捨山」の民話で有名なデンデラ野があるというので足を運んだ。
デンデラ野(姥捨て野)は、小さなただの原っぱだった。
眼下に収穫期の終わった殺風景な畑が広がっていた。
60を過ぎた老人をここに捨てた。老人は、日中は里に下りて農作業を手伝い、わずかな食料を得て野の小屋に帰った。
捨てられたもの同士、寄り添って暮らしながら、命が果てるのを静かに待ったという。寂しい話にうふさわしい、寂しい場所だった。
働かざるもの、食うべからず。働けなくなった老人は、邪魔になるから捨てて行く。夕日を眺めながら捨てられた老人のことを思い、人ごとではない心地がした。
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