九州男児に囲まれて仕事をする日々が始まる。

この記事は僕がまだ24歳のとき、2011年7〜9月の間、福岡のとある旅館に住み込みで働いていたときのストーリーをまとめたものです。

うつ病から再起を志し、一人でも生きる力をつけようと思った僕は、まず「働く」という感覚を取り戻すために住み込みの仕事に飛び込むことにしました。

目次

九州男児に囲まれて仕事をする日々。

「仕事なめてんじゃあねえええぞおおぉおぉぉぉ!!」

厨房に食器を戻しに行くと、厨房長が怒声を上げながら、料理人に飛び蹴りをしているところだった。

「次またやったらくらすぞ!」

「はい!すんませんした!」

飛び蹴りなんてうまれて初めて見た。思わず作業の手が止まり見入ってしまったところに、「阪口さん、オーダー持って行って!」とホールリーダーの声が飛ぶ。

飛び蹴りの衝撃以上に、その光景がまるで日常茶飯事のように仕事を続ける、九州男児たちの逞しさに唖然とする。

「はい!」と僕は答えて、提供台の上に乗っている刺身定食を細腕に掴むと、レストランホールに飛び出していった。

住み込みのリゾートバイトに応募する

2011年7月。

うつ病になって寝たきりとなった後、起業を決意した僕は、まずは「働くという感覚を取り戻そう」と、実家を出て住み込みの仕事で資金を溜めることにした。

場所は、福岡の志賀島。

博多から鹿児島本線で香椎駅へ。そこから香椎線に乗り換えて終点の西戸崎に向かう。そこが島の手前で、島へは1時間に1-2本走るバスに乗って向かうことになる。

玄界灘に浮かぶ豆粒のような小さな島だ。

僕はこの志賀島のにある、とあるホテルのウエイターとして働き始めることになった。

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とにかく実家を出たい。住み込みは最適の仕事だった。

仕事をするにも実家から通うのでは環境は変わらない。

かといって一人暮らしを始めるには初期費用が馬鹿らしい。そこで思い浮かんだのが「住み込み」の仕事だった。

検索エンジンに「住み込み アルバイト」と検索すると、ある単語に目が惹きつけられた。

「リゾートバイト」

見ると、夏休みなどのシーズン限定で、北海道から沖縄まで、列島に散らばる様々な旅館やホテルで働くことができるようだった。

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サイトを見てみると、たいていの旅館は住み込み寮がついていて、賄いつき、制服も支給。

繁忙期を反映した時給は良く、着の身着のままで、稼ぎながら衣食住が保証されるとのことだった。

住み込み先は色々と選べて、北海道から沖縄まで、あらゆる住み込み先が用意されていた。自分が行ったことのない地名の、どこにでも住み込んで働くことができる……。住み込みというと、建設現場や工場などの肉体労働しか思い浮かばなかった僕にとって、そんな仕事があるということは衝撃的だった。

「この仕事なら、旅をしながら稼ぐという生活が、体験できるかもしれない……」

そう思った僕は興奮状態のまま、申込フォームを埋め、面接の申込をした。うつ病になり、誰とも会えなくなり、働くということに恐怖しか感じなかった自分が、不思議なほど積極的だった。どこかで、「今、ここで行かなければ」人生が変わらないことがわかったのかもしれない。

仲介会社との面接は問題なく進み、その2週間後にはすぐ、第一志望にしていた福岡の旅館に送り込まれることになった。

昼夜、レストランホールを駆けまわる

レストランホールは小さな運動会が開催できるくらいに広い。

一面ガラス張りの室内からは、瑠璃色にたゆたう玄界灘を一望することができたが、その景色に見惚れている暇はなかった。

昼間は定食を中心にしたメニューになっており、地元の魚介類を使った海鮮丼や天ぷら、刺身定食が人気。旅館の目の前がすぐ海水浴場になっており、お客さんは途切れることなくやってくる。

夜はバイキングになっていて、ホールの中央に、30種類以上の料理皿が並ぶ。

そこに宿泊客が殺到する様子は、まさに修羅場、戦場と呼ぶにふさわしかった。

お客さんの空いた皿を下げる、テーブルを片付けて次の宿泊客を案内する、山のように積み重なる飲み物のオーダーを片端から捌いていく。

子どもがこぼした料理の後片付けをする、料理の補充をする、特別な海鮮コースのオーダーを用意する、話しかけてくるご老人のお相手をする……

そんな雪崩のような状況に巻き込まれ、仕事の勝手も流れもわからない僕は、戦場を右往左往しながら、先輩の見よう見まねで仕事をするのが精一杯だった。

当たり前のことがわからない

「Ojってなんですか!?」

「オレンジジュースの略! 作り方わかります?」

「わかりません!」

「やっとくから!」

「すんません!」

「十八卓ってあそこでいいんですよね?」

「違います! あそことあそこはくっついてるから、合わせて十六卓になるの。十八はその左隣!」

「ありがとうございます!」

キッチンスタッフは男性が多かったが、ホールスタッフはほとんど女性。

社員のほとんどは20歳前後で、そろって自分より年下だった。仕事に年齢は関係ないとはわかりつつ、年下の女の子にいちいち確認しなければ仕事ができない状況はなさけなかった。

お客さんが帰るのが21時で、そこから皿の片付け、洗い物、テーブルのセッティング、床のほうきとモップがけ、翌朝の朝食の準備といった作業が始まる。

すべての仕事が終わるのが22時過ぎ。その時間にはもう、足が生まれたての子鹿のようにガクガク震えて歩けなくなるほどだった。

 

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