英語を話すためには英語力だけでは足りない。言葉を交わすには「人間力」が絶対に必要なのだと気づいた話。

フィリピン・ドゥマゲッティでの
英語研修プログラムを受けて
1週間が過ぎました。

毎日、カフェや大学構内のテラスで
先生と1対1、あるいはグループで
色んなトピックについて話しているのですが、
 
 
「英語を話す」ことに求められるのは
必ずしも「英語力」ではなく、
 
 
これまでどんな体験をして、
どんな風に世界を見てきたか
という「人間力全般」が
必要になってくるのだと、強く感じるようになりました。
 
 
たとえば昨日は、
「とあるテーマについてスピーチをする」
という課題を与えられました。
 
 
僕のテーマは「家族」。
 
 
家族について、
なんでもいいから自由にスピーチをしなさい、
という課題です。
 
 
結局僕は、
 
 
・起業をすると決めた時に
 家族はどんな反応をしたのか
 
・「仕事が見つかった」と嘘をついて
 あいりん地区にこもって仕事をしていたときのこと
 
・仕事をしながら海外を放浪していたときの
 家族の反応の変化
 
・結婚相手を見つけて帰ってきた時、
 「その子って何人?」と反応されたときのこと
 
といった、
 
 
起業してから今に至るまでの
家族との付き合い方と反応について話したのですが、
 
 
「これって、
 英語力って、あまり重要じゃないよね。
 
 人生経験っていうか、
 自分の中にどれだけ多くの
 「引き出しがあるか」が大事で
 
 結局、
 コミュニケーション能力とか
 人間力全般が問われているよね」
 
 
と、感じたのでした。
 
 
TOEICの点数がいくら高く
ボキャブラリーが豊富であっても、
 
もし僕が起業をした経験がなければ
こうした話はできなかったでしょうし、
 
家族と向き合ったことがなければ
「家族」というテーマで
興味を引くスピーチはできません。
 
 
他にも、
 
「あなたにとって愛ってなに?」
  
「この写真についての個人的なエピソードを教えて」
 
「フィリピンで一番のカルチャーショックは?」
 
「舞妓って、どういう生き物なの?」
 
 
といったような、
英語力以外の部分で、
 
 
「どれだけ世界について知っているか」
「どれだけ人生を考えているか」
 
 
ということを求められることが
とても多かったのです。
 
 
日本語ができるからといって
誰かの興味を引くような話が
必ずしも「できない」のと同じように
 
 
たとえ英語力があったとしても
 
人生に対して無知であったとすれば、
相手に「伝えたい」と思うメッセージがなければ、
 
結局、何も話せることはないのだ、と気が付きました。
 
 
英語を学ぶことと同時に
そうした人間力も高めていきたいと
改めて感じています。
 
 
 
追伸:
研修プログラムが終了後は、
タイのバンコクに飛ぶ予定です。
 
バンコクでは現地で事業をしている友人を訪問。
その後、1月末に日本に帰国します! 

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
目次