「君はこんなところで、24時間仕事をするために生まれてきたのかい?」とあるタイの田舎町で、人生の使い方について考えさせられた話。

今でこそお話できることですが、僕は出国して後、それまで上がっていた報酬が一度0円になったことがあります。

2012年の12月頃。タイのノンカーイという、メコン川に面した、ラオス国境の田舎町に住んでいたときのことです。

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久しぶりに見た管理画面の「0円」

久しぶりにみた、アフィリエイト管理画面の「0」という数字。

長期契約していたゲストハウスの窓の向こうの青空を見上げながら「どうしようかなー、、、」と頭を抱えていました。

僕はそれまで、今では懐かしい「ガラケー」のアフィリエイトサイトを作っていました。

1〜数ページ規模のサイトをひたすら作り、月数百円〜数千円くらいを稼ぐサイトを大量に持つような戦略です。

2011年3月に起業をしてからこのやり方で収益をあげ、出国時には月30万円まで伸ばすことができたのですが、この戦略が、みるみるうちに通用しなくなっていきました。

このままじゃジリ貧、、、

収益が激減した理由は色々あるのですが、ひとつは、スマートフォンの普及率が想像していた以上に早く、僕が当時メインターゲットとしていた若いユーザーの多くが、ガラケーからスマホに流れていったことがあげられます。

また、Googleのサイト評価基準がどんどん精度の高いものになり、コンテンツの質の低いサイトが検索市場で戦いにくくなっていたことも理由のひとつです。

サイトを作って一時的に収益が発生しても、翌月、翌々月には稼げなくなってしまう。

せっかく自由な働き方が叶ったのに、机に向き合ってサイトを作る日々が続いていました。

「このままじゃジリ貧だ、、、」
「根本的に自分のやり方を変えなくてはならない、、、」

夕焼けに染まるメコン川の遊歩道をひとり歩きながら、これからどうあるべきかをじっと考えていました。

Nongkhai,thailand-oct 20:traditional Thai Long Boats Compete At

ノンカーイ側から眺めたメコン川。対岸がラオスの首都ヴィエンチャン。

PC一台でできる仕事をすれば、自由なライフスタイルが叶う。25歳の僕は、そんな風に安直に信じて疑っていませんでした。

実際に海外には出国し、こうして南国で暮らす自由は手に入れた、

でも、毎日何かに追われている感覚から逃げることはできませんでした。

ある日、青い瞳をしたアロハシャツの老人と出会う

ある日、川沿いの遊歩道の木陰でノートを広げて考え事をしていると、

アロハシャツを来た白人の老人が「何をしているんだい?」と話しかけてきました。

こんなにのんびりしたところなのに、君はなんだか忙しそうにしているね。何をしているんだい?
ちょっと仕事がうまくいっていなくて、、、
仕事? こんな国境の田舎町で、君みたいな青年が?
はい、どこでもできる仕事をしてまして、、、
どんな仕事を?

僕はちょっと迷ってから、インターネット関連の仕事をしていること、WEBサイトを作りながら、記事を書いたりデザインを作ったりしながら旅をしていることを伝えました。

それを、こんな田舎町でしてるのかい。ふうむ。君は日本人だね。
ええ、そうです。
君の仕事は、日本ではできないのかい?
もちろんできます。でも、もともと海外に出たくて。それで海外でもできる仕事は何かなって、この仕事を選んだんです。
なるほどね、、、。

老人は興味深そうに頷きながら、「気分転換にご飯でも食べに行かないか?」と誘ってくれました。

その言葉を聞いたとき、最初に浮かんだ感情は、「俺にそんな暇ないんだよ!」という、理不尽な憤りでした。

考えなくちゃいけないものは山程ある。

頭の中がぐちゃぐちゃして、とてもじゃないけど誰かと話してなんていられない。

こうしている間にも報酬は目減りしていっているというのに、、、。そんな状態のときに、どうしてこの人はランチに誘ってくるんだ?という、八つ当たりにも似た感情が湧き上がってきました。

せっかくのお誘いですが、忙しくて。
ランチくらい行けるだろう。そんな暇もないのかい?
ええ、24時間、仕事が詰まっていまして。
24時間?本当に?
、、、ええ。

老人は「Crazy」とつぶやくと、僕に興味をなくしたように立ち上がり、「君は人生の使い方を間違っているよ」と言いました。

人生の、使い方?
そうさ。君がどんな仕事をしているかわからないけど、そんな人生は、人生とは呼べないよ。君は、こんなところで、24時間仕事をするために生まれてきたのかい?

その言葉は、頭にひびが入るような衝撃を与えました。

そんな人生は、人生とは呼べない。反論しようにも、うまく言葉が出てきません。

僕がまごついているのを見て老人は、「いつもこのあたりにいるから、気が向いたら声をかけてくれよ」というと、アロハシャツの小さな背中を向けて、そのまま向うに立ち去ってしまいました。

僕の人生は、何のために使われるべきなのだろうか

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メコン川に面したノンカーイの遊歩道。

君はこんなところで、24時間仕事をするために生まれてきたのかい?」

その問いかけに、僕は答えることができませんでした。

パソコン一台で仕事をして旅をする。それだけで十分すごいじゃないか。そんな風に信じて、現状を直視することを避けていたように思います。

でも、僕が本当に叶えたかった状態は、

たとえばあんなふうに異国の街で誰かと出会い、

ランチを食べ、
言葉をかわし、
外国語を話し、

自分の知らない世界を見聞きするために、この働き方を選んだのではなかっただろうか。

そんな風に思うと、誘いをかけてくれた彼に、どうしたあんな感情を抱いてしまったのかという後悔の念にさいなまれました。

もしかしたら何か、僕の人生観をくつがえすようなヒントがその中にあったかもしれないのに。僕はその機会を捨ててしまった。

それから僕は、自分の仕事のあり方を根本的に変えることを決めました。

自分の仕事のあり方を再構築しよう

2011年に起業をしてから、作ってきた小さなサイトの全てを僕は捨てることにしました。

Businessman working outdoor

ガラケーの小さなサイトを数多く作るのではなく、PCやスマホ対応のコンテンツサイトを、時間をかけてつくること。

作るサイトの数が少なくなれば、複数のことを一度に考える必要がなくなります。また小さなサイトに比べて、大きなサイトのほうが一度安定すると、長く収益を運んできてくれることも知っていました。

そのため僕は、もう寿命が長くないガラケーサイトの更新や、作成業務を止めました。

そして自由になった時間で、これまで数百サイトをかき集めて達成していた収益を数サイトだけで達成できるような、そのメンテナンスだけで生計や旅が続けられるような、そんな「資産」となるようなサイトの着手にとりかかりました。

1サイトに100、200、300記事を入れるようなサイトを作る。

それまでとは真逆のことをやるので、その間、報酬は当然ながら激減します。

ただ、東南アジアの安い物価にも支えられたこともあり、レストラン食事をする回数を減らしたり、ホテルのランクを下げて生活費を捻出。

サイトを作るスキルはもともとあったため、3ヶ月後には、それまで数百サイトであげていた報酬を2-3サイトで上げることができるようになりました。

自分の人生は何に使うために用意されているのだろうか

自分の人生を、どう使うか。

それは、単にお金を稼ぐだけではなく、その中身や内訳こそ、考えなくてはならないのだと思います。

仕事をして稼ぎがあっても、それに忙殺されてしまえば、自分の人生を、思う通りに使うことはできません。

どんな仕事で稼ぐかということだけではなく、その働き方は「どうあるべきか」も考えなくてはならないのだ、それを、この一件で学びました。

その後、再びあの老人に巡りあうことはなく、僕はその町を離れてしまいました。

もしいつか、彼にランチに誘われることがあったら

「もちろん!」

と笑顔で答えられるような、そんな自分で常にいたいと思っています。

あなたは今、自分の人生をどのように使っていますか?

 

阪口ユウキ

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