世界には「知らなくてはならないもの」が隠されている

 

今、バルセロナのランブラス通り沿いの劇場で
フラメンコを観てきたのですが、

あまりの熱量に茫然自失としています。

僕は生まれてから今まで
あんなにも「情熱的」に
生きたことがあっただろうか。

舞台の上で放出されるあの熱量の
半分さえも出しきれていたかどうか疑わしい。

起業当初、あいりん地区にいた時は
あれは生死がかかっていたから
魂を燃やして生きていたのですが、

それは執念とか、怨念のような感情で
「情熱」と呼べるような
生き方ではなかったように思います。

この1年半、僕は
東南アジアを周遊しながら仕事をし
今はヨーロッパを転々としながら仕事を続けてきましたが、

「充実感のある仕事」こそすれ
情熱的な仕事」はできていなかった、

そんな発想すら、持ったことはありませんでした。

きっと今日、バルセロナで
あのフラメンコの熱気に触れることがなければ
そんな生き方があるとも知らずに
生涯ずっと、生き続けていたかもしれません。

 

今日この瞬間、
バルセロナにいなければ
絶対に気が付くことがなかった感情。

それに気がつくことができて
心から良かったと思う一方、

知らずに通りすぎていた将来を思うと怖くて仕方がなくなりました。

 

僕らは知らず知らずのうちに、
自分の生き方の枠を決めて、
そこから外れないように生きています。

でも、それ以外の生き方もあって、
それは、自分が生きている世界の外側に
行かなくては出会うことができません。

世界には、
僕らが知らないものがたくさんありますが、

その知らないものの中には、
今の自分が「絶対に知らなくてはならないもの」も
含まれているのだと思います。

自分の生き方を決定づける上で、
そこで出会わなければならないもの。
「知らなくてはならないもの」が世界には隠されている。

それは、

ニューヨークにあるかもしれないし
アマゾンの奥地にあるかもしれないし
ブラジルの酒場にあるかもしれません。

人によっても違うでしょうし、どこにあるかもわかりません。

今日、僕が出会った
「情熱的に生きる」という知らなくてはならないものは
バルセロナのフラメンコ劇場にありました。

きっと、まだ見つけていない生き方が
世界のどこかに隠されているのだと思います。

 

もし、
自分の生き方に疑問を抱いていたり、
何か違和感を感じているなら、

もしかしたらそれは、

世界のどこかにある「自分が知らなくてはならないもの」に
まだ出会えていないからなのかもしれません。

僕はその「知らなくてはならないもの」を求めて
これからも旅と仕事を続けていきたいと思います。

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